DJサイチン🤠が選ぶ、70’s〜80’s洋楽🎶ベスト30‼️カウント・ダウン☝️第17位❝Goodbye Yellow Brick Road🎙️Elton John

作詞:Bernie Taupin 作曲:Elton John
編曲:Del Newman

グッバイ・イエロー・ブリック・ロード❞ は、1973年発表のアルバム『黄昏のレンガ路』に収録された。作曲はエルトン・ジョン、作詞はバーニー・トーピン。

映画🎦『ロケット・マン』を観た人なら解るよね?バーニーの事は。全米シングルチャートで2位、およびアダルト・コンテンポラリー・チャートでは1973年春に2週間1位👑を記録した。全英🇬🇧シングルチャートでは4位を記録した。アメリカ🇺🇸の方が人気があった楽曲だった。

ビリー・ジョエルは、ピアノ弾きのヴォーカリストのはしりのエルトン・ジョンやポール・マッカートニーを大リスペクトし!てるんからね。ポールともこの形で共演してるしね。

歌詞の内容は、意にそぐわないこととの決別宣言とも取れる内容。“Yellow Brick Road”は、児童文学『オズの魔法使い』の中で、“オズの魔法使いがいる街へ続く道”として登場するが、歌詞の中では、“社会に飼いならされた犬が泣きわめく道”と表現されている。つまり、「希望に続く道だと思っていた“Yellow Brick Road”は幻想だった」という意味を含んでいる。

エルトンがスター✨️への階段を駆け上がっていく真っ最中に、バーニーはルーツに戻ることを意識し、売れた時には成功を客観視し、疑問に思っていた。バーニーはエルトンの歩みと逆行した考えを常に持ちながら、ソング・ライティングのパートナーとしてはこの上なくピッタリしていて、エルトンはそんな”逆のベクトルにあった”彼の歌詞を咀嚼し、次々と名曲として創り上げ歌っていったのだと思う。

エルトンに限らず、コスプレ🎭️で別人格になる人は多い。アーティストにとって衣装は仮面🎭のようなもので、コスチュームを着ると勇気が湧いてくるし、全く違う人物になりきれる。エルトンは若い頃、きらびやか🥳にステージで歌って踊っているモータウンに憧れていた。

エルトンはショーマン🥳であり、パフォーマーとして、5万人の前でギター1本とジーンズ👖で歌うのではなく、ショーは目で楽しめるスペクタクルなものを作り上げないといけないと思った。あの奇抜ないでたちは、自分を守るための鎧であり、観客を音楽プラス・アルファとして楽しませる、彼のサービス精神なのかもしれない。だから、キモい!と思ってはいけないよ(笑)でも、ちょっとやり過ぎやね🤣🤣

おいらは高1の時に、女の子と二人👫で初めて観た映画🎦が『フレンズ』だった。とても思い入れのある曲♪だ。“ポールミッシェル”の2人の事を今でも覚えている。“ポールのミッシェル”やないからね?(*ノω・*)テヘ!

映画の内容は、若くして駆け落ちした2人は、食べるものを買うお金も無いとき、ミッシェルポールの飢えを忘れさせるために自分の身体をポールに与えたシーンが衝撃的!だったことを覚えている。

性欲>食欲の図式は、確かにあると思う🤔…彼女の身体はご馳走に匹敵するのだ!(๑´ڡ`๑)その思考はわかる。

ついでに思い出したけど、その女の子(I.Mさん)は見ず知らずの女の子で、高校一年の時に連れにK中学の時に人気があって「可愛い💆で」と聞いて、電話番号教えてもらって別の学校やったけどいきなり電話して、阪急三宮の改札で待ち合わせした。おいらはまだ坊主で、ジャンボ尾崎が穿くようなモノトーンのストライプのパンタロンに、白のタートルにビロードのネイビーのマキシコートを着て、ロンドンブーツを履いて改札口で待っていた。今思えば、彼女は相当おいらのことを不気味に思ったんとちゃうかなぁ〜😮‍💨ロンドンブーツを履いてたから身長は185cmはあったし、なにしろ坊主頭にロング・マキシコーㇳやったから…🤣イメージは、錦鯉の「こんにちは~」がマキシコート着て待ってる感じを想像してもらえばわかると思う。🥴「怖っ‼️🥶」

そのマキシコートは、三宮センター街にあった『JUN&Rope’』で、フランス人の店員に無理矢理試着させられて「トレビアン!✨️」とか言われて無理矢理買わされた代物だった。その当時(セブン⭐️スター一箱100円)で3万円位した。「どうだい?シャレオツだろ〜⤴️😎」

劇中で二人だけの出産シーンでやたらとデカい赤ちゃん産まれてきて「んなアホな!産まれてたての赤ちゃん👶、あんな大きいわけあらへんやろ😁」と、ごいごいすーの津田のように笑いながら呟いた時、彼女1ミリも笑ってなかった事を思い出したわ!🥶おいらは、耐えられんようになって、映画終わってすぐに別れた事も思い出した…😮‍💨散々な初デート👫の思い出やん!🤮どこが『フレンズ』やねん!完全に『他人』ないかい!🥶

作詞:バーニー・トーピン 作曲:エルトン・ジョン

最初の❝グッバイ・イエロー・ブリック・ロード❞の映像観てたら、あれ!?ドラマーはナイジェル・オルソンジャネ⁉️!(⁠゜⁠o⁠゜ ⁠彼の唯一のヒット曲🎶“Dancing Shoes”は、ウエスト・コーストフリークのサーファー🏄️に人気があったなぁ〜おいらもアルバムを持ってた。

作詞・作曲・編曲:デヴィッド・フォスター

そう言えばビートルズのとある曲に、覆面ドラマーとしてエルトン・ジョンが叩いてる曲がある…という話をケーン・古田から聞いたことがある。おいらは絶対にデマ!だと思っている🥴だってピアニストやん!万が一、本当だとしたら一体ビートルズのなんの曲なんやろ??(⁠・⁠o⁠・⁠)ご存知の方がいれば是非、教えて欲しい。ヾ⁠(⁠*⁠’⁠O⁠’⁠*⁠)⁠/

高校2年の時にバイクで今は、ツーリング・フェローのハッチ🐝にエルトン・ジョンの『ピアニストを撃つな!』のアルバムを借りたのを覚えてるけどハッチに聞いてみるか🤔…

作詞:バーニー・トーピン 作曲:エルトン・ジョン

もしかして、覆面ドラマーやなくて、覆面ギタリストやないの??ホワイト・アルバムの❝While My Guitar Gently Weepsエリック・クラプトンと間違ってないかな?(⁠゜⁠o⁠゜⁠;

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2件のコメント

ナイジェル・オルソンの「ダンシング・シューズ」、懐かしいですね。40年ぶりぐらいに聴きました。
このヒット曲が出た時にはエルトン・ジョンバンドのドラマーだったとは知りませんでした。
たまたま以前購入した日本盤のエルトン・ジョンのファーストアルバムの内ジャケット写真にナイジェルが写っているのを見て驚いた記憶があります。
ドラマーであそこまでAOR的な曲を歌っているのは「メリージェーン」のつのだ☆ひろ以来だったのではないでしょうか?
エルトン・ジョンはやっぱりバーニー・トーピンと組んでいた時代の曲が圧倒的に素晴らしいですね。
やっぱり良い詞にインスパイアされて良い曲もできるんでしょうね。もちろん愛するバーニーに褒められたいという感情もあったのかもしれませんが・・・

“ダンシング・シューズ”は、デヴィッド・フォスターが提供したので、なかなかの歌唱力があるんやろね。つのだ★ひろより、稲垣潤一と言って欲しかったなぁ〜(⁠@⁠_⁠@⁠)つのだ★ひろはソウルやしね。

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saichin
【サイチンのプロフィール】 某大手音楽ソフトリテイラーとして、長きにわたりマネージャーを務め、その後カリフォルニアスタイルのロングボードサーフ&ファッション・ショップを12年経営した。 ロングボード、ウィンドサーフィン、スキー、スノーボードなどの横乗り系スポーツ、バイク、車、ファッション、映画、旅行、雑貨、B級グルメ等、多岐の趣味を持つ。 音楽に関しては、洋楽、J−POPSのジャンルを問わず、広い知識を持つ。 特に、80年代J−POPSには無類の知識を持っている。 ユーミン、山下 達郎、竹内 まりや、サザン・オール・スターズ、角松 敏生、須藤薫、村田 和人、南 佳孝、稲垣 潤一、今井 美樹、芳野 藤丸(SHOGUN)、大瀧 詠一&ナイアガラ関連etc… 洋楽では70‘sフォーク・ロック、80‘sAOR、フュージョンの知識は豊富である。 所有レコード2000枚以上、CD2000枚以上。(ピーク時) 好きな言葉は"Free&Easy"と"POP"  座右の銘は"明日は明日の風が吹く" そんな"ポップ"なウェア、雑貨、CD&レコードをヤフオクやメルカリにも出品している。 AOR&ウェスト・コースト関連レコード約400枚購入希望の方はコメント欄からお願いします。