❝レイラ❞を生で聴いたら皆、鳥肌が立つんやろね。この動画で、ネイザン・イースト(b)も、次の曲が❝Rayla❞とわかっていても、あんな悦な表情をするくらいにインパクトが強烈!なチューンなんだろう。これぞEuphoria🧡Musicの極みじゃないだろうか。
❝Layla❞は、クラプトンは、ペルシャの古典詩人ニザミ・ガンジャヴィの『ライラとマジュヌーン』を手にしたことがきっかけ。
1966年、ジョージ・ハリスンは映画『ビートルズがやって来るヤァ!ヤァ!ヤァ! 』の撮影時に出会ったモデルのパティ・ボイドと結婚した。60年代後半にクラプトンとハリスンは親友になっている。
クラプトンはビートルズの『ホワイトアルバム』収録のハリスン作❝ホワイル・マイ・ギター・ジェントリー・ウィープス❝においてギターで参加し、ハリスンはクリームの『グッバイ・クリーム』収録の❝バッジ❞を共同で作曲、L’Angelo Misterioso の変名でギターを演奏、録音に参加した。
当時のクラプトンも、親友ジョージ・ハリスンの妻パティ・ボイドに恋愛感情を持ち、その苦悩が曲に中に表現されている。
ボイドは1977年にハリスンと離婚し、1979年、コンサートツアー途中のアリゾナ州ツーソンでクラプトンと結婚した。
ハリスンは離婚を苦に感じず、リンゴ・スター、ポール・マッカートニーと共にクラプトンの結婚祝賀会に出席した。
クラプトンはその後、パティのためにもう一つのラブバラード、❝ワンダフル・トゥナイト❞(1977)を作曲した。
クラプトンとボイドは数年後に破綻した。
友人の彼女や妻に横恋慕💙したことありますか?おいらは、されたことはあるけど、したことはない。もしそんな気持ちになったとしても親友の方が大事だから自分の感情は完全に封印する。あり得ない行為だからだ。おいらにはありえない行為でも、人によっては『I Can’t Stop Loving You💙』で、親友から彼女を奪うことを”良し”とするヤツもいる。
❝彼女の代わりはいくらでもいるが、親友の代わりはいない❝
by DJサイチン🤠
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70年代のクラプトンは好きでした。クリームはそこまで得意ではなく、80年代以降のヴォーカリストとしての比重が高くなった彼にも興味はなくなりました。
中でもデレク・アンド・ザ・ドミノス時代のエリックが1番好きです。デュアン・オールマンとのギターの競演は圧倒的な魅力を放っていました。
その頃の彼にはブルースだろうがレイドバックだろうが、その言葉とは裏腹の熱気が感じられました。そしてその白眉はやはり「いとしのレイラ」でしょう。
年取ってからアコースティックで演奏した力の抜けた「レイラ」は私には魅力的に思えませんでした。
アルバムでいうと「バッグレス」まで愛聴していましたが、それ以降は殆ど聴くことがなくなってしまいました。
好きなアーティストであることは間違いないのですが。
また来年の4月に来日で、かなりの日程を組んでるようです
この頻度はもはやベンチャーズに迫る勢いです
しかし、その勢力的な姿勢には敬意を示すべきでしょうね
アルバム「461オーシャンブールバード」発売直後に、イボンヌ・エリマンをバックコーラスに従えた武道館公演が私の最後のクラプトンです
おいらは、スローハンドまでは聴いてました。❝コカイン❞が好きでした。
アンプラグドでまた聴き始めました。
『461オーシャンブールバード』は、ボブ・マーリーのカヴァーの❝I Shot the Sheriff❞が好きでした。
アンプラグド以来、頻繁にエリックは来日してますね。
そんなエリックも自信を失った時期があって、バンドメンバーに『俺はどうかな?ちゃんとパフォーマンス出来てるかな?』と、不安げにメンバーに聞いたことがあった…ということが信じられません。
常に、自信満々で演奏しているとしか見えなかったから。
怒られるかと思ったのに皆さん私よりも早いお見限りで。
最も私も「No Reason to Cry」以降はザ・バンドやボブ・ディランなどの提供曲に対しての興味で聴いていた側面も高く、ギタリストとしてはあまり捉えていませんでしたが。