1991年の12月の日本🇯🇵公演。大阪城ホールでの❝Something❞ 向かって右がクラプトン。
ビートルズ🍏での❝Something❞は、リンゴ・スターのドラムから始まるが、コレはジョージのギターソロから始まる。
このイントロが流れてきた時の、感動をわかってもらえるだろうか…
強烈な鳥肌が立ち༼⁰o⁰;༽ほぼ同時に涙が零れたのだ。。:゚(;´∩`;)゚:。ライブて泣けるのは最高のモーメントなのだ。
もし、曲というものにオーラ✨があるとしたら、まさにコレだった。
ビートルズ🍏のナンバー♪には、オーラ✨を秘めている曲は多い。本来ならランキング5️⃣0️⃣に最低でも10曲以上入るハズだけど、絞りに絞ったランキング3️⃣0️⃣なのだ。
❝サムシング❞は、1969年9月に発売された11作目のイギリス🇬🇧盤公式オリジナル・アルバム『アビイ・ロード』に収録された。翌10月に❝カム・トゥゲザー❞との両A面シングルとしてシングル・カットされ、アメリカ🇺🇸Billboard Hot100で第1位👑、全英🇬🇧シングルチャートで最高位4位を獲得した。
何故、🇬🇧1位にならなかったのかが謎だ🤔??
作詞・作曲:George Harrison
この曲は、当時の妻であるパティ・ボイドへのラブソング🤍として書かれたとされているが、ハリスンは歌詞のインスピレーションについて別の人物を挙げている。
楽曲は他のビートルズ🍏のメンバーやプロデューサーのジョージ・マーティンから賞賛され、ジョン・レノンは『アビイ・ロード』で一番の曲✨」と評した。
1970年代後半までに150組以上のアーティストによってカヴァーされ、ビートルズの楽曲では❝イエスタデイ❞に次いで2番目に多くカヴァーされた楽曲となった。
1991年の12月2日、大阪城ホール。ステージから10番目。
イントロか流れてきた時には、
キタ━━━━(゚∀゚)━━━━!!って感じだった。
まさに、この動画のイントロだった。
ジョージ・ハリソンとエリック・クラプトンが並んで、ギターを弾いている姿を観た時は、まるで『神』のツイン👥トップを見ているようだった。
おそらく、おいらが参加したコンサートは、軽く50は超えている。
その中でも1番感激!(*˘︶˘*).。*♡したかも知れない。
やはり、大箱では座席は需要だ。
顔の造作までハッキリわかるのは前から10番目までだ。
オープニング・ナンバー♪は❝I want to tell you❞だった。ジョージがステージにに現れた時、ジョージは青ざめているように見えた。
髭を剃っていたからかもしれないが…
少し緊張しているようにも見えた。世界的🌐スーパースター🌠でも緊張するのか…
声もちょっと上ずっていた。
でも確かに目の前には、確かにあのジョージ・ハリソンがいたのだ。
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1991年のそのコンサートは私も東京で観ました。生前のジョージを観れてよかったと思っています。
ポール・マッカートニーのコンサートでの「サムシング」の取り扱いが雑でした。「僕の可愛い弟分が亡くなってしまい、とても淋しい。彼の追悼でこの曲を歌います。」と言って「サムシング」を演奏したのは良いのだが、バックバンドも引っ込んで、伴奏はポールの弾くウクレレのみ。あの壮大な曲をなんともカジュアルな軽音楽にしてしまった。お前は牧伸二か!
ジョン・レノンへの追悼としてはバックバンド付きで「ヒア・トゥデイ」(あまり好きな曲ではありませんが)を熱唱したのに、なんてこった。
悪気はないのかもしれませんが、こういう気遣いのないところがジョンやジョージに嫌われていたのかもしれませんね。
「レット・イット・ビー」の映画の時にポールにギターの弾き方を指導されて、ジョージが怒ってスタジオから出て行ってしまったのも仕方ないのかもしれません。
エリック・クラプトンもジョージ、リンゴ、ジョンとはたびたび共演していましたが、ポールとは少し疎遠でした。でもアーティストとしてのポールは素晴らしいので、こんなこと言っても好きなんだよなぁ・・・
確かに、ボールの京セラドームでのライブで初めてウクレレでの”Something”を、聴いた時ちょっと残念な気持ちになった。涙も出そうになったけど、出なかった。雑というより、ちゃんと演奏して欲しかった。ポールの『ジョージは天国で”下手くそだなぁ〜(笑)”って、言ってるだろうね』の文言に泣きそうになっただけだった。
ジョージのライブでは、ジョンへの追悼として❝ALL
Those Years Ago❞をプレイしたね。ジョンは、ジョージを可愛がっていたんやろね。