1991年の日本公演、at大阪城ホールでのジョージ・ハリスン。向かって右はエリック・クラプトン。
ビートルズでの“Something”は、リンゴ・スターのドラムスから始まるが、ソロはジョージの🎸から始まる。
このイントロが流れてきた時の感動( o̴̶̷᷄ ·̫ o̴̶̷̥᷅ )はハンパなかった!
強烈に鳥肌が立った!もしかしたら顔も鳥人間になってかも知れない…
もし、曲というものにオーラ✨があるとしたら、まさにこういう曲の事を言うのだろう。
ビートルズのナンバー♪には、オーラ✨を秘めている曲は多いだろう。子供の頃から聞き馴染んでいた曲を生で聴く事にオーラ✨を感じるのだと思う。スターに会うとオーラを感じるのと同じように、上手く言えてないけど曲自体がスター✨なのだ。
“Something”は、1969年9月に発売された11作目のイギリス🇬🇧Apple🍏盤公式オリジナル・アルバム『アビイ・ロード』に収録された。翌10月に“カム・トゥゲザー”との両A面シングルとしてシングル・カットされ、アメリカ🇺🇸のBillboard Hot 100で第1位👑、全英🇬🇧シングルチャートで最高位⬆️4位を獲得した]。
何で🇬🇧で1位にならなかったのかが謎だ…🤔💭❓中学生の時にこの“サムシング”のシングル盤はとにかく聴いた。当時、“カム・トゥゲザー”はあまり好きではなかったので聴かなかったが、後に好きになった。(つ∀<。)テヘッ♪
作詞作曲はジョージ・ハリスンで、ハリスンがレノン=マッカートニーの作品と同等の評価を得た楽曲となっている。
また、ビートルズ時代の公式発表曲の中で、唯一シングルのA面曲となったハリスンの作品でもある。今考えれば、何故“While My Guitar Gentley Weeps”が“Ob-La-Di, Ob-La-Da”のB面だったのが不思議だ。その頃はまだ、ジョージの評価は低いものだったんだろう。クラプトンも参加している名曲中の名曲なのに…クラプトンのイントロのギターは音楽史に残るものだ。“Here Comes the Sun”も同様だ。
要は、それほどまでにビートルズの“レノン&マッカートニー”のハードルは高かった…という事なんだろう。最後の最後にジョージの曲がA面になったんだから…(ダブルA面だけど)
“Something”は、当時のジョージの妻であるパティ・ボイドへのラブソング🤍として書かれたとされているが、ハリスンは歌詞のインスピレーションについて別の人物を挙げている。
楽曲は他のビートルズのメンバーやプロデューサーのジョージ・マーティンから賞賛され、ジョン・レノン👓は「『アビイ・ロード』で一番の曲!ヽ(ᐛ)ノサイコウ!!」と評した。
1970年代後半までに150組以上のアーティストによってカバーされ、ビートルズの楽曲では“イエスタデイ”に次いで2番目に多くカバーされた楽曲となった。
1991年の12月2日大阪城ホール…
ステージから10番目!
俺はそこにいた。
“Something”のイントロか流れてきた時には、
キタ━━━━(゚∀゚)━━━━!!
まさにこのイントロだった。
ジョージ・ハリソンとエリック・クラプトンの両雄が並んで、ツイン・ギター🎸🎸を弾いている様は、あまりにもカッコよく、神々しく✨もあった。
パティの事もあったのに、こうやって並んでプレイしている姿…
“男同士の友情は、愛情をも凌駕!する”ものなのか…⋯🤔中盤にはクラプトン・タイムも、あって“Wonderful Tonight”等…クラプトンは4曲プレイした。
おそらく、俺が参加したコンサートは、軽く50は超えているが(それにしても少なすぎる…😢)
その中でも1番感激❣️したコンサートかも知れない。
やはり大箱での座席は需要だ。
顔の造作までハッキリわかるのは前から10番目までだ。
オープニング・ナンバー♪は“I want to tell you”ジョージがステージにに現れた時、ジョージは青ざめているように見えた。
髭を剃っていたからかもしれないが…
少し、緊張しているようにも見えた。世界的スーパースター✨でも緊張するのか…そう思った。
声もちょっと上ずっていた。
しかし、俺の目の前でギター🎸を弾いて歌っているのは、紛れもなくジョージ・ハリスンなのだ!
大阪城ホールで参戦した洋楽ミュージシャンは、リンゴ・スター、ビー・ジーズ、ブルース・スプリングスティーン、スティービー・ワンダー、ホイットニー・ヒューストン等、ビッグ・アーティストの数々のコンサートに参加させてもらった。
その度に、パイプ椅子にアンケート用紙が置いてあった。
その内容は、「今後、観たいアーティストがあれば、ご記入ください」というような内容だった。
俺は大阪城ホールで、ずっとそのアンケートに、ビー・ジーズ、ダン・フォーゲルバーグ、ジョージ・ハリスンの名前を書き続けた。そのうちジョージ・ハリスンと、ビージーズは実現した。
ダンは他界してしまったので叶わなかったが…
まだそんなアンケートがあったならば、“デヴィッド・フォスター”と“スティーヴ・ミラー・バンド”"ロッド・スチュワート"に"エルトン・ジョン"…そして、恐らく最後の来日になるであろう、ポール・マッカートニーかな。ポールは京セラドームか…
デヴィッド・フォスターは大箱向きではないか…🤔💭❓
そんなことを思っていたらなんと!グラミー賞🏆15個も獲得している、デヴィッド・フォスターが3月に西宮芸術文化センターに来るって‼️∑(๑ºдº๑)!!
それも飛鳥涼とのコラボだって‼️
何で飛鳥涼なんや⁉️(画像参照)
どこにデヴィッドと飛鳥がコラボる接点があったんやろ…⋯🤔💭
飛鳥のファンがデヴィッド・フォスターのファンである可能性はとても低い。
デヴィッド・フォスターはあの伝説のバンド『Air Play』の時から俺は、40年来の大ファン!なのだ。時折来日しても東京でしかコンサートは開かない人なのに、ますか戎さんの西宮って‼️
Σ( Д ) ﻌﻌﻌﻌ⊙ ⊙こんな近くに来てくれるのはありがたいけど、飛鳥は観たいとは思わないなぁ~(´・ω・`)ショボーン
飛鳥は昔、チャゲアスのNewアルバム『Z=One』の発表会で会って、めちゃくちゃイイヤツだったけど…そのエピソードはまた後日。
それにしても悩むなぁ~高額だしぃ~今さら“Say Yes”を聴きたいとも思わないしなぁ~⋯🤔💭ただ、そのチャゲアス時代のアルバム『Z=One』に入っている“Moon Light Blues”は泣けるけども…(T-T)
この、抱き合わせで悩んでるデヴィッド・フォスターファンは多いと思うなぁ~…🤔💭「罪な組み合わせ」だわ!
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ジョージハリスンの同時期の公演は東京ドームで見ました。
渋谷店のT店長と彼の飲み仲間の武田鉄矢を除く海援隊の2人及びその仲間達、総勢10人位で観覧しました。
チケットも海援隊が手配してくれました。
彼らの連れにMICAというフォーライフ・レコードからデビューした女性歌手がいて紹介されました。全く知らなかったのですが、当時、吉田拓郎の「人間なんて」のカバー・シングルを出していて、それがトラヴァーユのCMに使われ、30万枚程度のヒットになっていたそうです。
今知ってビックリしたところです。
こんな事ばっかり言うてたらアカンわ…
海援隊の他の2人は全く顔も名前も知りませんな。
そのMICAというシンガーは恐れ多くも拓郎の「人間なんて」のカヴァーをして、30万枚も、売れたって??何であんまりみんなに知られてなかったのかな??
知る人ぞ知る!ぞ→しるの系統なのかな。
中島みゆきの「時代」でさえ16万枚しか売れてないのにね。
「母に捧げるバラード」や「贈る言葉」の大ヒット‼️で、ある司会者が武田鉄矢にこう聞きました。
司会者「さぞかしレコードが売れて印税がガッポリ入ったでしょうね。何か大きな買い物されました?」
武田「ポルシェ買ったたい!」
司会者「911ターボですか?」
武田「カイエンたい!」
司会者「凄いですね!で、お2人も車買われたのですか?」
海援隊の2人「ほぼほぼ、鉄矢が持って行ったから、車なんて…」
「買えんたい!」
と言ったとか…言わなかったとか…(笑)
彼らのデビュー時、私は海援隊の由来を知らなかったので、てっきり海綿体だと思っていました!
拓郎も海援隊もデビュー時は、倒産したエレックレコード所属だったので、印税はおろか、少額の給料をもらっていただけだったようです。
「贈る言葉」の作曲はメンバーの千葉和臣なので、彼はその印税でそこそこ食えているようです。
拓郎はその頃の事をオールナイトニッポンで竹内まりや様に愚痴ってたね。
「とにかくレコード会社にお金がないの!!」ってね。