イントロのポールのピアノを聴いた時、まだ中学生だったガキンコ🧒のおいらでも鳥肌が立ったのを覚えている。༼⁰o⁰;༽
ビートルズの中では、人気も存在感も4番目だったジョージの面目躍如!の渾身の1曲🎶だ。今のおいらのボキャブラリーなら、このイントロを言葉で表現すると“凛とした哀愁”とでも表現しようか…🤔
ジョージは曲を完成させるため、1964年にザ・ヤードバーズがザ・ビートルズのサポートを行って以来親交があったエリック・クラプトンに🎸を演奏してもらうことを思いついた。
1987年に行われたギター・プレイヤー誌とのインタビューで、ジョージはクラプトンが当初躊躇っていた様子を語っている。エリックは、「いや、俺には無理だよ。誰もザ・ビートルズの作品で演奏する度胸はないよ」って言ったんだ。だから僕は 「これは僕の曲だし、僕が君にギター演奏してもらうことを望んでいるんだよ」と説得した。
それでエリックが来てくれて、彼がいるお陰で他の奴らもみんな素晴らしい演奏をしてくれた。イギリス🇬🇧やアメリカ🇺🇸ではシングル・カットされていないが、日本やヨーロッパ、オーストラリアではシングル『オブ・ラ・ディ、オブ・ラ・ダ』のB面曲としてシングル・カットされた。
リリース後、音楽評論家から称賛を受け、❝サムシング❞や❝ヒア・カムズ・ザ・サン❞と並んでハリスンの代表曲のひとつとされ、解散後のソロライブの定番曲となった。
『ローリング・ストーンの選ぶオールタイム・グレイテスト・ソング500』では136位にランクインした。「何でやねん!低すぎるやろ!!ヾ(*’O’*)/」ちなみに1位👑はアレサ・フランクリンの❝Respect❞だ。
ビートルズ🍏の曲で最上位は☝️❝ストロベリー・フィールズ・フォーエバー❞の7位だ。
『While My Guitar Gently Weeps』を訳すと ”僕のギターが優しく涙を流す間” となり❝Gently Weeps〜ジェントリー・ウィープス❞という言葉は、ジョージがたまたま手に取った東洋思想の本に書いてあったらしい。歌詞の内容は、ビートルズのメンバー内で生じた不和についての言及とされている。
エリック・クラプトンのサポートにより、バンド内の雰囲気の悪さを緩和する役割も果たしたが、クラプトンの名はクレジットには表記されていない。ジョージの書く名曲となりえる曲は、『Something』といい、男らしく渋くてカッコいい!こんな名曲なのに日本のシングル盤では、❝オブラディ・オブラダ❞のB面曲なのだ。まっ、ビートルズのシングルレコードのB面曲はどれもも素晴らしいけどね!✨️❝Oh! Darling❞ ❝Revolution❞ ❝Don’t Let Me Down❞ etc…
このJKTのジョージの顔がとてもハンサムで、「ジョージって、こんなに男前やったんや!」と、みんなが気づいたJKTやないかな?。眉毛が繋がっているのも目立たない(笑)ジョンのこの写真は、おいらの連れのキーやんに似とるな!🤣
❝Ob-La-Di,Ob-La-Da❞も聴いてみて欲しい。(ポールの作詞&作曲)ビートルズっぽくない曲やね。ビートルズの曲の中で、1、2を争う楽しい🥳曲やけど…特にジョンは「婆さんみたいな古臭い曲だ!」と、酷評していた。ジョージも気に入らなくて、「なんでワシの曲がこんな曲のB面なんや⁉️」と言ったとか、言わなかったとか…出だしのファンキーなビアノは、ジョンが茶化して弾いたものだけど、それをボールが気に入って使ったらしい。曲中のトークもジョンが勝手におちょくっていたのだけど、それがより楽しい曲になったのは間違いない🤠
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「While My Guitar Gently Weeps」は私もビートルズ時代のジョージの楽曲の中では1番好きな作品です。
インド音楽から直接的に影響を受けたような曲はあまり得意ではありませんが。
ソロになってからも「ギターが泣いている」という続編のような曲も作っていますね。
やはりジョージには泣きのギターが似合っているようです。
タモリが大学生時代、モダンジャズ研究会でトランペットを練習している時、先輩から「マイルスのトランペットは泣いているが、お前のトランペットは笑っている」と言われて、楽器は諦め、司会者に転向したという有名な逸話をふと思い出しました。
ビートルズ時代のジョージの曲は少ないながらも、どれも名曲揃い
ジョンとポールがあくまでもメイン、ジョージの曲や意見は2人に却下されがちだったとか
その間、曲やアイデアをずっと溜め込んで温めており、解散を待ってたかのように具体的な曲作りに入り、その第一弾が3枚組のオール・シングス・マスト・パスとして発表されたようです
録音には気の合うリンゴ・スター始め、多くのミュージシャンが集結し、ビートルズ時代とは違うスタッフ全員の意見を尊重しながら進めるスタイルをとったとか
ジョンとポールにはよほど我慢してたんでしょうね
愛される由縁です
知ってたエピソードならば失礼しました
アルバム「オール・シングス・マスト・パス」には私の愛するバッドフィンガーの面々も参加しています。
その流れで「バングラディシュのコンサート」にも御一緒しているようです。
彼らは元々ポールのもとでアップルからデビューしたにもかかわらず、解散後にはジョージの方についていきました。
これもひとえにボールの人柄のお陰でしょうか。