❝風になれるなら❞は、伊藤銀次の中では❝幸せにさよなら❞の発展形だとし、「あの延長線上に来る曲が欲しいなって思って、ほぼ最初に作ったのが❝風になれるなら❞でしたね。シュガー・ベイブの流れにあることも表現したかったし、特に“風になれるなら”っていう部分の詞が出来たときに大貫妙子さんの声で“風”を表現したかったんですね。これは詞と曲がほぼ同時進行でした。何も考えずにあのイントロが出来たんですよね。
当時流行っていたボズ・スキャッグスの❝ロウ・ダウン❞にインスパイアされて作った曲だともいう。
【伊藤銀次という人】
京都でヒッピー生活を送るバンド『ごまのはえ』としてプロ活動開始。その後『ココナツ・バンク』と名乗っていた。
唯一のスタジオアルバムは布谷文夫のバックバンドとして参加した『悲しき夏バテ』である。大瀧詠一のプロデュースで本格的にデビューする予定であったが、実現する前に解散してしまう。大瀧は「彼らがデビューしていたらナイアガラ・レーベル第一号アーティストであった」と言っている。1976年に大瀧詠一、山下達郎と『NIAGARA TRIANGLE Vol.1』を発表。デビュー当時の佐野元春のプロデュースを担当。
おお、個人的な感想だけど、伊藤銀次って、声がトノバンに似てるよね⁉️ 🤠 やはり大瀧詠一が見込んだSSWの、事だけはあり、ナイアガラのミュージシャンの香りがプンプンする。ヒット曲‼️はあまりないけど、アルバムを通して聴きたくなるミュージシャンだ。彼のアルバムJKTやビニール盤はどれもポップ🍭!購買欲をそそられる。🥳 さすがは、ナイアガラ・トライアングルのミュージシャンだ。
おいらは銀次ワークスの中でも、RCA時代の竹内まりやに提供したこの曲がとても好きだ。軽快なカントリー・ロック🎶だ(≧▽≦)コーラスは伊藤銀次
竹内まりやは、大瀧詠一にも加藤和彦にも可愛がられ、杉真理、伊藤銀次、松本隆、林哲司にも愛され、そして旦那が山下達郎って…素晴らしい環境の中で伸び伸びとミュージック・ワークスしてたんやね。
アレレ⁉️いつの間にか、まりや様の話になってしまったぞ??🥴
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