9月🌳🌳の歌やけどね〜(*ノω・*)テヘ!そして、また別れるのにキス💋するんかい!(눈‸눈)あかんて!🥶 別れるときは笑顔で爽やかに別れる努力をしよう!しょーもない自分に、今まで一緒にいてくれたことに感謝すればいい。👫それだけでいい。
ホントは❝April❞という、爽やかな別れの曲もあるんやけど、前にポストしたからね。でも聴きます?🤗でも、多分また直ぐに会えるよ。だって、彼女は彼のトランク・ケース💼持ってるんやから…
“♪2人が愛していたのは、自由という君と僕とのすき間だったね♪” おいらもこの感じ…経験ある🤔…秋元康はいい歌詞書くなぁ〜🤠
1953年7月9日生まれ、仙台市出身。中学時代から本格的なバンド活動を始める。高校卒業後、ライブハウス、ディスコ、米軍キャンプなど様々な場所でライブ活動をする中、ドラムを叩きながらのヴォーカルというスタイルで注目を浴び、1982年❝雨のリグレット❞でデビュー。
おいらはデイスクポート西武高槻店で勤務していたときに、この❝雨のリグレット❞のシングル盤が、やたらとOL💆が買っていった印象が強い。
❝ドラマティック・レイン❞(1982)や❝夏のクラクション❞(1983)❝クリスマスの頃には❞(1992) 他、数々のヒット曲で日本を代表するAORシンガーとしての地位を確立。コンサート回数も現在では2000本を超えている。
どんな歌でも稲垣流の大人👔の、ムーディーなAORに歌い上げてしまう。稲垣潤一は、おいらより3つ年上で、仙台市の叔父が住んでいる宮城野区生まれで、とても親近感を勝手に抱いている。
ワン・アンド・オンリーのとてもスィートで艶のある声の持ち主。稲垣は秋元康が作曲し、筒美京平が作曲した❝ドラマティック・レイン❞を歌唱。歌前のトークで、稲垣は「2番のサビ以降の英語詩の部分がもともとなかった」と回顧。筒美さんが「物足りない」と感じて、レコーディング時に足してできた歌詞だったというエピソードを明かした。”Rain How Much I Love You〜 Rain ohohoh Rain…“のところだけど、たしかにこのフレーズ無しで終わると、物足りない気はする…🤔…このレイン…のリフレインがあると、「レインお願いだ!」という切なる願いが強調されていい🤔…
とにかく秋元康が稲垣潤一の曲の歌詞を精力的に書いていた頃で、男の美学を追求していた。秋元康の詩はこの頃からドラマティックだった。
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