チャカ・カーンに”What Cha’ Gonna Do for Me〜恋のハプニング“を提供したことでも知られるネッド・ドヒニーの代表曲の1つ🎶 アヴェレージ・ホワイト・バンドのハミッシュ・スチュアートとの共作だ。
Ned Doheny/Hamish Stuart
ネッド・ドヒニーの音楽性は、ウエスト・コースト/AOR/ブルー・アイド・ソウルに位置付けられる。
本国アメリカでの知名度は低いものの、ミュージシャンの信頼はとても厚い。日本では非常に人気が高い。
日本では、特にサーファーには絶大な人気を誇る。ネッドの2ndアルバムの『ハード・キャンディ』は、サーファーのマスト・アイテムだった。オイラは、レコードでもCDでも、死ぬほど聴いた(*˘︶˘*).。*♡ 特に夜から海に向かう車で、流すのが定番だった。
フリーソウル🤎風味を加えた大胆なアレンジに、グルーヴィーなアコースティックギターを絡ませた、その絶妙なセンスが素晴らしい!バックは、若き日のデヴィッドフォスター、タワーオブパワー、イーグルスのグレンフライ&ドンヘンリー、リンダロンシュタット、J.D.サウザー達が参加。
代表曲の1つ、”Get It Up For Love〜恋は幻“は、日本のバンド東京事変にもカヴァーされている。後に自身のアルバム『ライフ・アフター・ロマンス』でもセルフカヴァーしている。
- 1973年 – 『ネッド・ドヒニー・ファースト』 – Ned Doheny
- 1976年 – 『ハード・キャンディ』 – Hard Candy
- 1979年 – 『プローン』 – Prone
- 1988年 – 『ライフ・アフター・ロマンス』 – Life After Romance
- 1991年 – 『ラヴ・ライク・アワーズ』 – Love Like Ours
- 1991年 – 『ポストカーズ・フロム・ハリウッド』 – Postcards From Hollywood
- 1993年 – 『トゥー・ワールズ』 – Between Two Worlds
- 2010年 – 『ザ・ダークネス・ビヨンド・ザ・ファイア』 – The Darkness Beyond The Fire
ネッド・ドヒニーは、1948年、アメリカ合衆国のカリフォルニア州で誕生。少年時代から青年時代にかけて、サーフィンミュージックに夢中でギターを手にする。1970年代前半から活動をし、ママス&パパスのキャス・エリオットや、トラフィックのデイヴ・メイソンなどに楽曲を提供していた。1973年にデビューアルバム『Ned Doheny』を発表する。1976年に彼のキャリアにおいても有名な『HardCandy』を発表。その中でも、アルバム1曲目の”Get It Up For Love〜恋は幻“は有名である。
もっと深くネッド・ドヒニーを掘り下げると、音楽活動を本格化させると、デイブ・メイスン、キャス・エリオットとネッドの3人でグループを組む話が持ち上がるも、結局は破談となった。
デヴィット・ゲフィンが設立したばかりのアサイラム・レコードから、旧知のジャクソン・ブラウンらと共にアルバム『NED DOHENY』で73年にソロ・デビュー✨を果たした。
売上は芳しいものではなかったが、フォークやカントリーの流れを汲んだ当時のシンガー・ソングライター・ブームの中において、ソウルやファンクの音楽性を柔軟に取り入れた彼のスタイルは、非常にユニークかつ先進的だった。
76年にコロムビアへ移籍すると、ブッカーT&ザ・MG’sのギタリスト、スティーヴ・クロッパーをプロデューサーに迎え、第2作『HARD CANDY』を発表。こちらも米本土ではヒット!とはならずも、日本ではボズ・スキャッグス、マイケル・フランクスらとともに、AOR。76年当時は”ソフト&メロウ“と呼ばれていた。ソウル系アーティストに多く取り上げられたAWB(アヴェレージ・ホワイト・バンド)のハミッシュ・スチュアートとの共作”A Love Of Your Own“など、名曲を多数収録した傑作‼️で、人気写真家モシャ・ブラカによる眩しい✨アートワークも語り草だ。
2010年9月29日に、オイラは、FM COCOLOのDJ.キヨミさんの番組でBillboard Live大阪のペアチケットが当選に的中!🎯して招待された。オイラは、大好きなネッドを目の前にして興奮して『Hey!Ned!Fantastic‼️(≧▽≦)』と叫んでしまった。(*ノω・*)テヘ!
日本だけで人気の”Valentine”
大好きな、ネッド・ドヒニーだからつい、コラムが長くなってしまいました…(*ノω・*)テヘ!
たまらんね…(*˘︶˘*).。*🤎
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