1972年、全米&ソウル両チャートを制覇👑‼️した”Oh Girl〜オー・ガール” 前半はギルバート・オサリヴァンの”Alone Again Naturally”が1位👑に君臨していた。
作者かつ、リード・シンガーのユージン・レコード(人物の名前)は、当初、この曲に満足してはいなかった。だけど、TV 番組で初披露するとシングル化の要望が殺到!アレンジャーのトム・ワシントンが華麗なストリングスとピアノを配して再録音し、その結果彼らに最大のヒット‼️をもたらした。やはり、楽曲というのは原曲が上質な原材料であり、アレンジャーとしてのシェフが味付けや、盛り付けを施してこそ、絶品!の出来✨になる!ということを証明した楽曲である。名曲✨は、イントロで決まる!オイラは常にそう言い続けてる。名器✨ストラディバリウス🎻の音色は、第一音でそれと解るもの!それと同じ🤓 ホンマかいな!( ≧Д≦)💦
シカゴ・ソウル🤎は、ソウル・ミュージックの地域別スタイルの一つ。1960年代にシカゴで発展した。1960年代のデトロイト(モータウン)やメンフィス(スタックス)と並び、シカゴは1960年代、1970年代のソウル全盛期の拠点となった。その代表がこのシャイ・ライツだ。スウィート・ソウル🤎といえば、このシャイ・ライツの右に出るものは…いる!😁
英語の発音では”チャイ・ライツ”だけど、日本では”シャイ・ライツ”が一般的な呼び名だ。
オイラが18歳の時にディスコ💃に狂っていた時期があり、その頃に知り合った片平なぎさ似の同志社大学のMさんが「シャイ・ライツ!💛シャイ・ライツ!💛」と、言っていたのを思い出した。オイラはその頃、ソウル好きだったけど、シカゴ・ソウル🤎の雄!シャイ・ライツは知らなかった。
ソウルバラードなら、スタイリスティックスを超えるグループはいない!と思っていた(スタイリスティックスはフィラデルフィア🤎ソウル)けど、あまりにもMさんが推すのでシャイ・ライツのレコードを買った。甘〜い甘〜い🍫スィート💟なコーラスに殺られてしまった。
そのMさんとは数回、夜のドライブ🚘デートをし、カーコンポ🔊から甘い🤎極上のソウル・バラードを流してもオイラは一切、手を出さなかった。いや、出せなかった…(*ノω・*)テヘ!
Mさんはオイラのことをこう思っていだろうな。(。ŏ﹏ŏ)
“シャイなアイツ“と…(*ノω・*)テヘ!
これだけムーディーなBGM♬を流してんのに、ワイは一体、何をしとったんや⁉️🥶
「ハイ!そーです!わだすが”シャーナイヤツ“です。」
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漫画トリオの横山パンチだったら「パンパカパーン、今週のチャイライツ」と言って「Oh Girl」を紹介していたでしょうね。
上岡龍太郎さん、ご冥福をお祈りします!
巧い!そんな私は「センスは一流、人気は二流、ギャラは三流」「恵まれない天才、私がDJサイチンです」