🌟.゚どうしてこんなに悲しいんだろう🌟.゚🎙吉田拓郎
神✨曲は、去年で終わるつもりだったけど、どうしてももう1曲あげたかったのです。
それがこの“どうしてこんなに悲しいんだろう”です。シティポップブームの前にはこんなフォークが主流だったん。
人は、こんな思いをすることもあるのです。
「拓郎さんは、自分の作品の中で何が一番好きですか?」という質問をたまに聞く。
オールナイトニッポンのラジオで竹内まりやも聞いていた。
愚問だけど、ファンならばやっぱり聞いてみたいよね。
かつて「自分の作品は全て自分の子供たちである」と宣言した拓郎。
ミュージシャンはみんなそういう思いだろう。
生み出した沢山の我が子の中で、この子が一番可愛い!と平気で言える親はいない。
なのでいつもテキトーに答えていた拓郎だが、相手が竹内まりやだけに、迷いなく答えたのが、この “どうしてこんなに悲しいんだろう”だった。
おそらく、拓郎のターニング・ポイントになった曲なんだろう。
プロの歌手としてメジャーになるために広島から上京し、高円寺の安アパートに居を構えた。一人ぼっちの部屋…雨の夕方…降りしきる雨音…雨で煙る風景をぼんやりと眺めている…ペジミストになってしまう条件が揃いすぎている。
「負けそうだ…故郷に帰るか…」そんなネガティブな想いに耽っていたんだろう…
拓郎は「とても悲しくなってこの曲を書き上げた」と言う。
若き拓郎の本音がひしひし伝わってくる。
悲しみに暮れる時には本音が出るものだ。でも、強い意志がハッキリと見える。
人と関わる事の煩わしさと、人と繋がれない寂しさという、対極にある向こう側とこちら側…その向こう側とこちら側を行ったり来たり…漂いながら人と人とのあるべき距離感を模索する。…
竹内まりやや渡辺美里達の多くの音楽家たちの若き日のよりどころにもなっている名曲だ。
フォーク・クルセダーズの“悲しくてやりきれない”に通ずるフォークとしての名曲である。
“自由とは不自由…”と思う時期があった。
高校の時は義務教育ではないんだけど、学校に行かねばならないという不自由さがあった。
ところが大学に入ると、学校に行っても行かなくても一切、お咎めはない。全て自分次第で自己責任だ。自由って実はメンタルが余程強くないとその自由な時間をただ浪費してしまうのだ。
だから俺は不自由な高校時代の方が断然!楽しかったのだ。
人は自由になると怠惰になるもの。
俺はある程度の縛りがないとどこまでもルーズに堕ちていくタイプの人間だった。
大学の4年間は概ねつまらなかった。
それでも、お陰様でオイラは波乗りにハマり、スキーにハマっていて夏は高知、冬には長野に入り浸りでそれはそれで楽しかった。
自由な身でありながら何もしない…出来ない人間は大勢いる。
強制があるからこそ、人は何かを成し遂げる事が出来るのかも知れない。
ときに煩わしいと思うけど俺は、人に揉まれている方が楽しいし、自分が活きると思っている。
否応なしに人と関わるのは面倒だけど、愉しいことの方がが断然多いのだ。
「やっぱり自由って不自由だ…」
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「これが自由というものかしら?自由になると寂しいのかい?」
中学生時代はこの歌が大好きで、よくギター片手に歌っていたものです。歌詞の意味は考えてはいませんでしたが。
大人になって、「自由は、ちょっと寂しいものだとわかりましたね。」