《僕のラジオ・デイズ📻〜🎶》
作詞:アン真理子
作曲:中川克彦
編曲:寺岡真三
1969年発売 第11回日本レコード大賞編曲賞受賞🏆
アン真理子の“悲しみは駈け足でやってくる”は1969年(昭和44年)オリコンチャートの記録によると、9月下旬〜11月初めにかけてヒット!した。オリコン最高位⬆9位。
1966年、ヒデとロザンナの、出門ヒデと”ユキ&ヒデ”を結成。1967年にデビューシングルをリリース。ユキとヒデとしての活動と平行して、ソロ歌手藤ユキ(ふじユキ)としても活動。
1968年、ユキとヒデ解散。ヒデは同年、”ヒデとロザンナ”を結成。
1969年、ソロ名義もアン真理子と改称、再デビューを果たし、ようやくヒット!に漕ぎ着けた。
出だしから木枯しの効果音等で、とても寒くて寂しい雰囲気を出しているけど、決して悲しい歌ではないのだ。同時期に佐良直美の”いいじゃないの幸せならば”もマイナー調の歌だけど悲しい歌ではない。
JKTを見る限り、暗い歌を歌う人じゃなさそうだ。たまたまそういう歌が流行ったのかも。「明日という字は 明るい日とかくのね」「若いという字は 苦しい字に似てるわ」という歌詞が妙に人に共感を与えていたのか‥それなら「悲しいという字は、心非ずと書くのね」「幸せという字は辛いという字に似てるわ」なんかも入れておいて欲しかった(笑)
同じ時期に流行っていた歌は、”青江三奈の”池袋の夜”や佐良直美の”いいじゃないの幸せならば”、弘田三枝子の”人形の家”だった。何故、青江三奈がオリコン・チャート上位にいるのかが、よく分からなかった。”国際線待合室”とかもね。(・・?
クリフリチャードの”幸せの朝”がランク急上昇⬆ヤンリクでは既に1位だったかな?とにかく強かったのを覚えている。
アン・マレーじゃないよ!?アン真理子やから…あんまりやな!(=o=;)
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「明日という字は明るい日と書くのね。」という歌詞に、小学生の私には斬新で、いたく感心したのを覚えています。
当時、アン真理子のほかに「真理アンヌ」やウルトラセブンの「友里アンヌ」隊員などがいて、イメージも似ているので、混同して大変でした。
外国にも「マリアンヌ・フェイスフル」や「アン・マレー」がいたし。
「アン・ルイス」や「杏里」が出てきてからは余計訳が分からなくなりました。
天地真理だけは見分けがついたのは、情けないですが。
アンリ・シャルパンティエやアンガールズ田中、アン・バンクロフト、アンティパストなど、何が何やらわからんのやろね?(笑)
流石にアンガールズ田中は無理がありますね。
それで良ければアンジャッシュ渡部とかアンタッチャブルザキヤマとかアンバンマンまで出てきてしまいます。
杏真理子というシンガーもいたぜ!
それは「キョウ」真理子です。
「杏という字は否定の否に似てるわ。」
否は「不口」と書きます。杏真理子さんはフコウな人生を歩まれたみたいですね。