音を聴くと、故・クインシー・ジョーンズのプロデュースというのがよく解る🤠!音に奥行きがあって、とてもゴージャス✨️
❝チョッパー・ベース🎸❞で、有名なきょうだいだけど、チョッパー・ベースは日本語でのみの呼称で、英語では❝Slapping❞と呼ぶという違いだけ。 チョッパーは日本でしか通用しない言い方なので、国際的に通用する言葉として❝スラップ奏法❞」と呼ぶ方が一般的。❝Slapping❞⇍の元祖は、ラリー・グラハムだ。当時は❝Slapping❞奏法は、マーカス・ミラーと人気を二分してた。
クインシー・ジョーンズの秘蔵っ子としてデビュー✨️した、ベーシスト、ジョージ&ルイス・ジョンソン兄弟によるソウル/ファンク・ユニット、ブラザーズ・ジョンソン!

おいらは、クインシー・ジョーンズの秘蔵っ子✨️というミュージシャンが好きだ。アルバム『愛のコリーダ』で大ヒット‼️した❝Just Once❞の故・ジェイムス・イングラ厶❝あまねく愛で〜Baby,Come To Me❞で、そのジェイムス・イングラムとデュエットしたパティ・オースティン、キーボード奏者の、グレッグ・フィリンゲインズ、ブラジル🇧🇷のイヴァン・リンス、キューバ🇨🇺出身のピアニスト/ヴォーカル、アルフレッド・ロドリゲスetc…
ブラザーズ・ジョンソンは、10代の頃からミュージシャンとして活躍し、ビリー・プレストンのバック・バンドからクインシー・ジョーンズのアルバム『メロウ・マッドネス』への参加を経て、クインシーのプロデュースで1976年にアルバム『ルック・アウト・フォー・No.1』でデビュー✨️!これが全米🇺🇸9位のスマッシュ・ヒットを記録し、続く『ライト・オン・タイム』(’77年/全米13位)、『ブラム!!』(’78年/全米7位)、『ライト・アップ・ザ・ナイト』(’80年/全米5位)の大ヒット‼️を記録。さらにシングルも❝アイル・ビー・グッド・トゥ・ユー❞(’76年/全米3位)、❝ストロベリー・レター23❞(’77年/全米5位)、❝ライト・アップ・ザ・ナイト❞(’80年/全米7位)等、メジャー・ヒット‼️を連発した。また弟ルイスはベーシストとしてマイケル・ジャクソンの一連のメガ・ヒット・アルバムに参加し、その華麗なスラップ・ベース奏法でファンキーなグルーヴ🎶を生み出す。
な仕上がりの名盤。
特に、ルイス・ジョンソンは、マイケル・ジャクソンのアルバム『オフ・ザ・ウォール』、『スリラー』、『デンジャラス』そして大ヒット曲‼️❝ビリー・ジーン❞と❝今夜はドント・ストップ❞ ジョージ・ベンソンのアルバム『ギヴ・ミー・ザ・ナイト』にも参加している。また、ハーブ・アルパートの1979年のアルバム『ライズ』に参加した3人のベーシストの1人である。
クインシーファミリーの才能あるミュージシャン達は、みんな早くして他界した。マイケル・ジャクソン、ルイス・ジョンソン、ジェイムス・イングラム、そして先日に亡くなったクインシー・ジョーンズもだ。もう、このFunky💥でGorgeous✨️な音が聴けないのは寂しすぎる…(TT) 音楽ファンはみな、好きなミュージシャンの訃報は殊の外、ショックを受けるものだ。最近では、ロバータ・フラックの訃報にショックを受けた。かつて、一番ショックを受けたのは、ホイットニー・ヒューストン、マイケル・ジャクソン、グレン・フライだった。みんな大好きだったから…(TT)
編曲:Quincy Jones
ジェイムス・イングラムの大阪フェスティバルホールでのライブで、❝Yah Mo B there❞(1984年グラミー賞🏆️受賞)で、3000人のオーディエンスの中、おいら一人だけ立って、🕺してたら、ジェイムスとアイ・コンタクトが取れ、ジェイムスが俺にガッツポーズ✊をしながら微笑んでくれた事が忘れられない。とにかくR&Bシンガーの中で一番好きなシンガーだったので6年前の訃報を聞いた時は大きなショックを受けた…(TT)

おいらがWAVEに、入社した時は、パティ・オースティンの❝Do You Love Me❞が流行っていて本当はダメなんやけど、アルバムを、店長代行の釣沢氏にカセットにダビングしてもらって、いつもウォーク・マンで聴いていた。そこから、おいらは彼の影響もあり、AORから、R&Bに趣向が変わったアルバムだ。同時に、角松敏生が敬愛した、故・ルーサー・ヴァンドロスの❝Never to Much❞も流行っていた。
編曲:クインシー・ジョーンズ

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ブラジョン、カッコいいですね。私は「アイル・ビー・グッド・トゥ・ユー」と「ストロベリー・レター23」がお気に入りでしたが、勿論「ストンプ」も好きでしたよ。
ただ最初はファンク色が強かったのですが、時を経るにつれてフュージョン色が強くなってきたので、徐々に聴かなくなってしまいました。きっと売れて稼げるようになったので、洗練されてしまったんでしょう。知らんけど・・・
知らんかったたら言ってはいけない(笑)
クインシーから離れて、セルフ・プロデュースになり、ファンクよりもフュージョン・AOR色が強くなったんやな。時代の流れもそうだった。パッセージとかも同時期に流行ってた。
今日のコラム、内容全て共鳴共感です