超カッコいい🧔ロック&ソウル🤎シリーズ🎶❝Stomp!🌐✨️Disco️Mix🕺❞🎙️The Brothers Johnson

https://youtu.be/tPBDMihPRJA?feature=shared

音を聴くと、故・クインシー・ジョーンズのプロデュースというのがよく解る🤠!音に奥行きがあって、とてもゴージャス✨️

❝チョッパー・ベース🎸❞で、有名なきょうだいだけど、チョッパー・ベースは日本語でのみの呼称で、英語では❝Slapping❞と呼ぶという違いだけ。 チョッパーは日本でしか通用しない言い方なので、国際的に通用する言葉として❝スラップ奏法❞」と呼ぶ方が一般的。❝Slapping❞⇍の元祖は、ラリー・グラハムだ。当時は❝Slapping❞奏法は、マーカス・ミラーと人気を二分してた。

クインシー・ジョーンズの秘蔵っ子としてデビュー✨️した、ベーシスト、ジョージ&ルイス・ジョンソン兄弟によるソウル/ファンク・ユニットブラザーズ・ジョンソン!

おいらは、クインシー・ジョーンズの秘蔵っ子✨️というミュージシャンが好きだ。アルバム『愛のコリーダ』で大ヒット‼️した❝Just Once❞の故・ジェイムス・イングラ厶あまねく愛で〜Baby,Come To Me❞で、そのジェイムス・イングラムとデュエットしたパティ・オースティン、キーボード奏者の、グレッグ・フィリンゲインズ、ブラジル🇧🇷のイヴァン・リンス、キューバ🇨🇺出身のピアニスト/ヴォーカル、アルフレッド・ロドリゲスetc…

ブラザーズ・ジョンソンは、10代の頃からミュージシャンとして活躍し、ビリー・プレストンのバック・バンドからクインシー・ジョーンズのアルバム『メロウ・マッドネス』への参加を経て、クインシーのプロデュースで1976年にアルバム『ルック・アウト・フォー・No.1』でデビュー✨️!これが全米🇺🇸9位のスマッシュ・ヒットを記録し、続く『ライト・オン・タイム』(’77年/全米13位)、『ブラム!!』(’78年/全米7位)、『ライト・アップ・ザ・ナイト』(’80年/全米5位)の大ヒット‼️を記録。さらにシングルも❝アイル・ビー・グッド・トゥ・ユー❞(’76年/全米3位)、❝ストロベリー・レター23❞(’77年/全米5位)、❝ライト・アップ・ザ・ナイト❞(’80年/全米7位)等、メジャー・ヒット‼️を連発した。また弟ルイスはベーシストとしてマイケル・ジャクソンの一連のメガ・ヒット・アルバムに参加し、その華麗なスラップ・ベース奏法でファンキーなグルーヴ🎶を生み出す。

ROCK/AOR 色を強めながらもソウルフル🤎でメロウ
な仕上がりの名盤。

特に、ルイス・ジョンソンは、マイケル・ジャクソンのアルバム『オフ・ザ・ウォール』、『スリラー』、『デンジャラス』そして大ヒット曲‼️❝ビリー・ジーン❞と❝今夜はドント・ストップジョージ・ベンソンのアルバム『ギヴ・ミー・ザ・ナイト』にも参加している。また、ハーブ・アルパートの1979年のアルバム『ライズ』に参加した3人のベーシストの1人である。

クインシーファミリーの才能あるミュージシャン達は、みんな早くして他界した。マイケル・ジャクソン、ルイス・ジョンソン、ジェイムス・イングラム、そして先日に亡くなったクインシー・ジョーンズもだ。もう、このFunky💥でGorgeous✨️な音が聴けないのは寂しすぎる…(TT) 音楽ファンはみな、好きなミュージシャンの訃報は殊の外、ショックを受けるものだ。最近では、ロバータ・フラックの訃報にショックを受けた。かつて、一番ショックを受けたのは、ホイットニー・ヒューストン、マイケル・ジャクソン、グレン・フライだった。みんな大好きだったから…(TT)

作詞・作曲:Barry Mann / Cynthia Weil
編曲:Quincy Jones

ジェイムス・イングラムの大阪フェスティバルホールでのライブで、❝Yah Mo B there❞(1984年グラミー賞🏆️受賞)で、3000人のオーディエンスの中、おいら一人だけ立って、🕺してたら、ジェイムスとアイ・コンタクトが取れ、ジェイムスが俺にガッツポーズ✊をしながら微笑んでくれた事が忘れられない。とにかくR&Bシンガーの中で一番好きなシンガーだったので6年前の訃報を聞いた時は大きなショックを受けた…(TT)

1985年にはUSAフォー・アフリカに参加し❝ウィ・アー・ザ・ワールド❞では大物たちと並んでリードーカルを務めた。

おいらがWAVEに、入社した時は、パティ・オースティンの❝Do You Love Me❞が流行っていて本当はダメなんやけど、アルバムを、店長代行の釣沢氏にカセットにダビングしてもらって、いつもウォーク・マンで聴いていた。そこから、おいらは彼の影響もあり、AORから、R&Bに趣向が変わったアルバムだ。同時に、角松敏生が敬愛した、故・ルーサー・ヴァンドロスの❝Never to Much❞も流行っていた。

作詞・作曲:ロッド・テンパートン
編曲:クインシー・ジョーンズ
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3件のコメント

ブラジョン、カッコいいですね。私は「アイル・ビー・グッド・トゥ・ユー」と「ストロベリー・レター23」がお気に入りでしたが、勿論「ストンプ」も好きでしたよ。
ただ最初はファンク色が強かったのですが、時を経るにつれてフュージョン色が強くなってきたので、徐々に聴かなくなってしまいました。きっと売れて稼げるようになったので、洗練されてしまったんでしょう。知らんけど・・・

知らんかったたら言ってはいけない(笑)
クインシーから離れて、セルフ・プロデュースになり、ファンクよりもフュージョン・AOR色が強くなったんやな。時代の流れもそうだった。パッセージとかも同時期に流行ってた。

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saichin
【サイチンのプロフィール】 某大手音楽ソフトリテイラーとして、長きにわたりマネージャーを務め、その後カリフォルニアスタイルのロングボードサーフ&ファッション・ショップを12年経営した。 ロングボード、ウィンドサーフィン、スキー、スノーボードなどの横乗り系スポーツ、バイク、車、ファッション、映画、旅行、雑貨、B級グルメ等、多岐の趣味を持つ。 音楽に関しては、洋楽、J−POPSのジャンルを問わず、広い知識を持つ。 特に、80年代J−POPSには無類の知識を持っている。 ユーミン、山下 達郎、竹内 まりや、サザン・オール・スターズ、角松 敏生、須藤薫、村田 和人、南 佳孝、稲垣 潤一、今井 美樹、芳野 藤丸(SHOGUN)、大瀧 詠一&ナイアガラ関連etc… 洋楽では70‘sフォーク・ロック、80‘sAOR、フュージョンの知識は豊富である。 所有レコード2000枚以上、CD2000枚以上。(ピーク時) 好きな言葉は"Free&Easy"と"POP"  座右の銘は"明日は明日の風が吹く" そんな"ポップ"なウェア、雑貨、CD&レコードをヤフオクやメルカリにも出品している。 AOR&ウェスト・コースト関連レコード約400枚購入希望の方はコメント欄からお願いします。