DJサイチン🤠が選ぶ、70’s〜80’s洋楽🎶ベスト30‼️カウント・ダウン☝️第6位❝Bohemian Rhapsody❞🎙️Queen

UNITED KINGDOM - JULY 13: WEMBLEY STADIUM Photo of LIVE AID and Freddie MERCURY and QUEEN, Freddie Mercury performing live on stage at Live Aid (Photo by Pete Still/Redferns)
作詞・作曲:Freddie Mercury

ボヘミアン・ラプソディ❞は、全英🇬🇧シングルチャートで9週にわたって第1位👑を獲得し、1976年1月末までに100万枚以上の売上を記録した。わ

1991年のフレディー・マーキュリーの死後に再発売され、5週連続で1位👑を獲得し、イギリス🇬🇧で3番目に売上枚数が多いシングルとなった。同時に同一のアーティスト、同一の楽曲が2度全英🇬🇧シングルチャートで第1位👑を獲得した唯一の例ともなった。

🇬🇧シングル盤 売り上げ Best10

1位)エルトン・ジョン「キャンドル・イン・ザ・ウインド〜ダイアナ元英皇太子妃に捧ぐ」 1997年
2位)バンド・エイド「ドゥ・ゼイ・ノウ・イッツ・クリスマス」 1984年
3位)クイーン「ボヘミアン・ラプソディ」 1975年
4位)ウィングス「夢の旅人」 1977年
5位)ジョン・トラボルタ&オリビア・ニュートン・ジョン「愛のデュエット」 1978年
6位)ボニーM「バビロンの河」 1978年
7位)フランキー・ゴーズ・トゥ・ハリウッド「リラックス」 1983年
8位)ビートルズ「シー・ラヴズ・ユー」 1963年
9位)ロブソン&ジェローム「アンチェインド・メロディ」 1995年
10位)ウェット・ウェット・ウェット「愛にすべてを」 1994年

1970年代。ロンドンのライブハウスに通っていたフレディ・マーキュリーは、3人の仲間らと共にバンドを結成し、アルバムを制作する。メンバーの個性や挑戦的な試みによって彼らは一世を風靡するが、フレディは次第に孤立していく…

ちょうど今から、6年前に公開となった映画🎦『ボヘミアン・ラプソディ』観た人も多いだろう。フレディーをあまり好きじゃない人も映画を観れば、フレディーがどういう人なのか解る映画だ。おいらは若い時のフレディーが苦手だった。剛毛ロン毛の青々とした髭剃り後に胸毛にステージ衣装の全てが苦手だった。

そこで、フレディー・マーキュリーとはどういう人なのか調べてみた。✏️

⚪️フレディ・マーキュリーは卓球やボクシングが得意だった。

🤠 器械体操が得意かと思ってた👀!

⚪️彼のファッションセンスは両親を驚かせた。

🤠 エルトン・ジョンが師匠やったん?🤔

⚪️クイーンのロゴをデザインした。

🤠 へぇ~

⚪️リンダ・ロンシュタットとブロードウェイで共演しないかと誘われたがしなかった。

🤠 もったいない🥶

⚪️裸で歌うのが好きだった。

🤠 観ればわかります😁

⚪️エルトン・ジョンとロッド・スチュワートとでスーパーグループを結成しかけていた。

🤠 エルトンもタイプじゃなかった?

⚪️ジョン・レノンを敬愛していた。

🤠 やはり…🤔

フレディー、ヤバイ奴やん!(⁠゜⁠o⁠゜⁠;

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2件のコメント

「ボヘミアン・ラプソディ」はクィーンというバンドに対する私の見方を180度変えた名曲です。当時のクィーンは(フレディのことではないですが)ルックス先行で日本の女の子達に大人気のアイドルバンドと思い込んでおり、「キラークイーン」でやっと欧米ても人気が出たが、この曲も妙にオカマチックで私は受け付けられませんでした。
そんな時ビルボードのチャートを演歌のようにジワジワ上り続けていた「ボヘミアン・ラプソディ」に私は完全に心を奪われました。「天国への階段」のような美しい旋律で始まったかと思うと、ブリッジにはオペラ風のメロディーが展開し、その後一転して、カッコいいロックンロールが鳴り響いたかと思うとエンディングでは再び美しいバラードに回収していくという、当時としては画期的な複雑な展開の曲で、彦摩呂なら「この曲はロックの名曲の幕の内弁当や!」と驚嘆したのではと思われるくらいの驚きを私にもたらしてくれました。バンドに対する強固な偏見を一発で打ち砕くほどこの曲には破壊力があったんだと今では考えています。50年以上、洋楽を聴き続けていますが、このような経験はあまり思い当たりません。
実は昨日偶然この曲をカラオケで歌ったのですが、これも何かのお導きなのかもしれませんね。

当時のフレディーの厳つい顔に剛毛ロン毛に、髭剃り後が青々とした顔が苦手で、避けていたバンドだった。
大学生の時にラジオから流れてきた”バイシクル・レース”が、「バイセク(バイセクシャル)」と、聞こえて仕方がなかった。ロックでもオペラ的なコーラスや展開もイマイチ好きになれなかった。それが今では、”IMAGINE”や”My Love”より上に位置しているのが「おいらも大人になったな!」と、感じられずにはいられない。

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saichin
【サイチンのプロフィール】 某大手音楽ソフトリテイラーとして、長きにわたりマネージャーを務め、その後カリフォルニアスタイルのロングボードサーフ&ファッション・ショップを12年経営した。 ロングボード、ウィンドサーフィン、スキー、スノーボードなどの横乗り系スポーツ、バイク、車、ファッション、映画、旅行、雑貨、B級グルメ等、多岐の趣味を持つ。 音楽に関しては、洋楽、J−POPSのジャンルを問わず、広い知識を持つ。 特に、80年代J−POPSには無類の知識を持っている。 ユーミン、山下 達郎、竹内 まりや、サザン・オール・スターズ、角松 敏生、須藤薫、村田 和人、南 佳孝、稲垣 潤一、今井 美樹、芳野 藤丸(SHOGUN)、大瀧 詠一&ナイアガラ関連etc… 洋楽では70‘sフォーク・ロック、80‘sAOR、フュージョンの知識は豊富である。 所有レコード2000枚以上、CD2000枚以上。(ピーク時) 好きな言葉は"Free&Easy"と"POP"  座右の銘は"明日は明日の風が吹く" そんな"ポップ"なウェア、雑貨、CD&レコードをヤフオクやメルカリにも出品している。 AOR&ウェスト・コースト関連レコード約400枚購入希望の方はコメント欄からお願いします。