1974年以降のスタイリスティックスは、それまで彼らの楽曲制作・プロデュースを担当していたトム・ベルの多忙により、ベルから楽曲を得られなくなったため、レーベル創始者のヒューゴ・ペレッティとルイージ・クレイトアーらのプロデュースで活動することになり、ヴァン・マッコイがアレンジしたディスコ調🌐の楽曲♬を歌うことになった。
そのプロデューサー・チームにより誕生した“愛がすべて〜Can’t Give You Anything (But My Love)“は、全米🇺🇸ビルボードシングルチャートで51位、R&B🤎チャートでは18位と、それまでのヒット曲♬ほどには上位に行かなかったものの、イギリス🇬🇧の全英シングルチャートでは3週連続1位👑を獲得する大ヒット‼️となった。日本🇯🇵でも洋楽ながらオリコンチャートで20位となり、洋楽部門では1位を👑記録するヒット‼️となった。
折からのディスコ・ブーム🌐と相まって、スタイリスティックスの楽曲🎵の中では最も日本で売れた人気曲である。
もう、俺達世代には“愛がすべて“がすべてだ。この鳥肌が立つようなトランペット🎺のイントロが流れるてくると、フロアーに我先と雪崩込んだもの。チーク👩❤️👨ダンスを踊る為だ。女の子と一緒に行ってれば彼女の手を取ってフロアーに急いだけど、いない時もあった時はどうしていてたんだろう??それだけが、何故か思い出せない🤔…いきなり、知らない女の子の手を取ってダンスしていたのかも知れない。
いや!思い出した!( ╹▽╹ )💡この曲で、ハッスルを踊っていた!やっぱり知らない女の子に会釈してハッスルのステップ・ダンスをお願いしていたと思う。俺達がディスコにくる目的は、ナンパではなく間違いなくダンス目的だった。どうしても女の子が用意できない時は、開店を待っている知らない女の子に「一緒に入店してくれへん??」と、お願い🙏したものだ。ディスコは基本、男同士の入店はタブーだった。女の子に声をかけるのは、ナンパ目的ではなく入店目的で、純粋に踊りたい💃だけで、下心無しだったので全く緊張感なく自然に「Shall We Dance? /・ω・/\(^-^ )してたのだと思う。
そして、“愛がすべて〜Can’t Give You Anything (But My Love)“に、負けず劣らず感動的なスロー・バラードがこの“16小節の恋/Sixteen Bars“だ。
彼らの持ち味である美しいハーモニーはもちろん、空を舞うような旋律がいい(*˘︶˘*).。*♡
冒頭の流れ星のようなトランペット🎺にやはりハート🤎を貫かれる“エモさ200%“のチューンだ。(*˘︶˘*).。*♡
歌詞の内容は、愛する人に気持ちを伝えるために16小節の愛の歌をしたためたというもの。
“愛がすべて“や、この“16小節の恋“の冒頭のエモいトランペット🎺奏者は、クラシック界のトランペット奏者で有名なモーリス・アンドレだ。パリ🇫🇷国際音楽コンクールやジュネーブ🇨🇭国際音楽コンクール、ミュンヘン🇩🇪国際音楽コンクールなど、名だたるコンクールで優勝🏆しているトランペット名手✨だ。
18歳の頃のドライブ🚘デートでは、スタイリスティックスのベスト盤のカセットで、「ここぞ!」というシーンで、この曲🎶をかけていた。女子のハート💟に必殺!←🔫ズキューン‼️だ。
“誓い〜You Make Me Feel Brand New“も含めて、“必殺!女殺しスタイリスティックス3大バラード“(*˘︶˘*).。*♡だ。
“男は、名曲の助けを借りて、オナゴを口説くのが達者になるもの…“
by DJサイチン
にほんブログ村
にほんブログ村