ジノ・ヴァネリの情熱的でソウルフル🤎なヴォーカルと、キーボーディスト兼アレンジャーの兄・ジョー・ヴァネリが作るボサノヴァ、フュージョン色が濃いサウンドとの取り合わせは独特の世界観を持ち、時にはプログレッシブ・ロック的なコンセプト・アルバムも発表した。
歌唱力に加え、サウンド・クリエイト能力を合わせ持ち、”ミュージシャンズ・ミュージシャン✨”と称される程の評価を得る一方、セールス的にはあまり恵まれなかった。
しかし、1978年にアルバム『ブラザー・トゥ・ブラザー』を発表し、この”アイ・ジャスト・ワナ・ストップ“が全米🇺🇸4位、アリスタ・レコード移籍後のアルバム『ナイトウォーカー』からは”リビング・インサイド・マイセルフ“が全米6🇺🇸位を記録した。
“I Just Wanna Stop“は、紛れもなくブルー・アイド・ソウル🟦だ。
オイラは幸運🍀なことに、ジノ・ヴァネリのコンサートを大阪城ホールの近くのIMPホールに、当時のポニー・キャニオンの営業の吉川さんに招待で観に行かせてもらった。吉川さんには本当に、お世話になって今井美樹のコンサートにも招待していただき、楽屋まで呼んでいただいた方だった。
ジノ・ヴァネリのコンサートは、大津店の店長のG先輩と行った。ジノ・ヴァネリは、カーリーヘアで、クリスタルキングの田中昌之氏に似ていた。ヒット曲が少ない事もあり、イマイチ盛り上がりに欠けていたけど、それにしてもせっかく来ているのに、静かなオーディエンスの反応に耐えられなくなりオイラは。『ジノォ〰️‼️(≧▽≦)』と、叫んでしまった。もちろんG先輩も俺に倣って名前を呼んだ。すると、ジノは咄嗟に反応して、なんとコザック・ダンスを一生懸命踊りだしたのだ!(⑉⊙ȏ⊙)‼️「エッ⁉️ロシア人でもないのになんで??」 でもジノはきっと、俺達のコールが嬉しくて反射的に踊りだしたんだろう。こんなに偉大なシンガーなのにとてもチャーミングなジノ・ヴァネリでした。
よく感じるんやけど、もっと観客はノらないとね!💃せっかくパフォーマンスしてる彼らををもっと盛り上げてあげないと!なんのために高いチケット代払って大人しくしてるんよ!🥶 ミュージシャンと共にもっと、盛り上がろうぜ!大阪のオーディエンスも意外に大人しいものなんよ。まぁ、オイラには、”指笛👌”という、武器があるからいいようなものの、たまにスカがあって、音が鳴らないときは恥ずかしい思いをするんやけどね…🥶”スースー”も空笛はとてもハズい(。ŏ﹏ŏ)
ライブの帰りに吉川さんとG先輩と3人でお茶を飲んだ時に吉川さんに、
吉川さん:「ありがとうございますm(__)m盛り上げてくれて…」
俺:「いや、そんなん当たり前やし!それにしても、なんでもっと、盛り上がてあげないんやろね…」
吉川さん:「今日の観客、ほとんど、招待客なんですよ」
俺:「エッ⁉️(@_@;)そうなん??ロクにジノ・ヴァネリ知らん人が来てたって事なん?」
吉川さん:「そうなんですよぉ〜🥴」
俺:「そうなんや!それはアカンわ!それ知ってたら、もっと盛り上げるべきやったなぁ🤔〜」
吉川さん:「いえいえ、十分でした!ジノも踊ってましたし😁、嬉しかったんやと思います」
俺:「本国🇨🇦では、凄い人気やのにな…」
結局、ジノ・ヴァネリを知っている人はサーファーしかいなかった感じがした。当時のアメリカ村に行くとショップから流れてきたりしてたからね。
とにかく、🇨🇦の大スター✨に、コザック・ダンスやらしたらアカン!(;ŏ﹏ŏ)と、思ったのは確かだった。
実は、ジノはこんなボサ・ノヴァも得意なのです( ꈍᴗꈍ)
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