もう何も言うことはないですよね。フォーク界のキング👑吉田拓郎のあまりにも有名なこの曲🎶
この曲が収録されているアルバム『元気です。』は、1972年7月21日に吉田拓郎がリリースしたオリジナル・アルバムで、吉田拓郎のアルバムとしては最高のセールスを記録している。
当時の世相は、浅間山荘事件が起き、沖縄が日本に返還された1972年、学生運動が退潮し、次の時代への期待と不安が入り混じったこの年、吉田拓郎の最高傑作『元気です。』は生み出された。アルバムリリースは第1次田中角栄内閣発足から(まぁ〜そのぉ!)二週間後のことだった。それまでフォークを取り上げなかった一般紙までも『フォークの吉田の初アルバム』と書きたてた。
拓郎がエレックレコードのようなマイナーレーベル時代に出したアルバムは、そういう世界ではまだ”ないもの”に等しかった。拓郎は、この年6月の四角佳子との結婚式でマスメディアからの取材を拒否し、さらにテレビ出演を拒否をし続けた時期で、セールス・プロモーションは、ほとんど行われなかったが、リリース直後から話題をさらい、1ヵ月で40万枚を売り上げ、アルバムを手にした若者たちは、この年の夏、取り憑かれたように聞き、没入した。
当時は泥臭い土の香りのする吉田拓郎派かアスファルトの冷たさのように洗練された井上陽水派かに分かれ、ノンポリのオイラは、両方のアルバムを買った。どちらも屈指の名盤✨だ。
日本🇯🇵情緒の拓郎か、欧米🇫🇷のエモーションの陽水か…って話。この年齢になって聴きたいのは吉田拓郎だ。
あいみょんが、デビュー当時の拓郎によく似ていると話題になり、あいみょんは拓郎氏と共演した時に、『光栄です!』と、素直に喜んでいた。確かに似てるね( ╹▽╹ )
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1972年、「春だったね」を初めて聴いた時の衝撃は忘れられません。「人間なんて」は別として、「結婚しようよ」や「旅の宿」は好きだったけど、衝撃的なものではありませんでした。
ましてや「春だったね」の原型とも言われているボブ・ディランの「メンフィス・ブルース・アゲイン」ともまだ出逢っていなかったので。
この歌とも語りともつかない言葉のほとばしりをフォークではなく、ロックのビートにのせて畳み掛ける歌唱法は「結婚しようよ」や「旅の宿」のフォークのプリンスの歌唱法とはあまりにも違うカッコいいものでした。
「風に揺れるタンポポを添えて、君の時計を止めてみたい」など歌詞も前衛的で思春期前の少年の心を震わせました。今になって思えば、この頃の天才的タクローの時計を1975年ぐらいで止めてみたいと思ってしまいます。
でもそんな「♪私の声も消えてしまった、これも春だったね♪」
確かに衝撃的!やったね。あのイントロの石川鷹彦のエレピは、フォークではなく、ロックだった。
拓郎のライブに1度も、言ってないのが今となっては大後悔しとります。