スティーヴィー・ワンダーのバックバンド(G&Vo)に抜擢されたことをきっかけに音楽業界でその名が知れわたる
1978年、レイディオの第一弾アルバム『JACK&JILL』がミリオン・セラー✨を記録する大ヒット‼️となり、全米ゴールド・ディスク🟡を獲得。
続く1979年の第二弾アルバム『Rock On』からもシングル“You Can’t Change That”が大ヒット‼️(全米3位⬆)、レイディオはその人気を全米🇺🇸に定着させる。
80年代に入るとレイ・パーカーJr.&レイディオとして、1981年、全曲自身の作詞・作曲、さらにプロデュースというアルバム『A Woman Needs Love』をリリース。
シングル“A Woman Needs Love(Just Like You Do)”は、日本含め世界的🌍大ヒット‼️(全米1位👑)
再びアルバムは全米ゴールド・ディスク🟡を獲得する。
“That Old Song”等の、ライトでオシャレなサウンド•*¨*•.¸¸♬︎は、“ブラコンの聖典”として当時のOLや女性大生~AORマニアまでをトリコにした傑作❣️『A Woman Needs Love』の
アルバムはレイ・パーカーの•*¨*•.¸¸♬︎の集大成ともいえるアルバムだ。
俺達は、AOR一辺倒から、ブラコンというライトなR&Bにシフトし、パティー・オースチン、ジョージ・ベンソン、ジェイムス・イングラム、アトランティック・スター、デバージ、ホイットニー・ヒューストンなどのメローな、ブラック・コンテンポラリーの虜になった。
レイ・パーカーJr.が、世に出る前に実は、ブラコンという新しいジャンルを確立する前に、クラーク・デューク・プロジェクトという、ユニットが、そのブラコンの走りではないかと思っている。
ジョージ・デューク(key)とスタンリー・クラーク(b)のユニットだ。
"Sweet Baby"を聴いてもらえばわかるのではないだろうか…
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70年代、ブラック・ミュージックは総じて「ソウル」と呼ばれていましたが、イナゴの大群のように現れた「ディスコ」に席巻され、80年代に入るとライトなものは「ブラコン」と言われ、オシャレな音楽の代名詞にもなっていきました。
EAGLESが80年代に活動していたら「1979年以来、私どもは『ソウル』を切らしております。」なんて歌を作ったのではと夢想しています。
黒人系音楽は、店でのジャンル表記は、ソウル⇒ソウル&ディスコ⇒ブラック・ミュージック⇒ブラック・コンテンポラリー⇒R&Bという風に呼び名が変わって行ったけど、一番しっくりくるのは、今のR&Bかな?B&Bではないです。
えっ!?漫才コンビ??違います!真面目に『BLACK&BLUCE』…デス!(笑)
ブラコンだとシスコンと同じように、兄弟へのコンブレックスと勘違いされそうですね。
R&Bと言うと、どうしてもリズム&ブルースのイメージが先行し、オーティス・レディングやサム&デイヴのような音楽が頭に浮かんできてしまいます。
人種差別と言われたらそれまでですが、ブラック・ミュージックが1番わかりやすいですね。