バート・バカラックは、自身が30歳後半~40代前半の時が全盛期で、非常に多くのシンガーに曲を提供し、ヒット曲を量産していた。
作詞家のハル・デヴィッドのコンビで、次々にヒット曲を連発!した。
また、ディオンヌ・ワーウィックとも深く関わっていて、彼の作品の共同作業者と言ってもよく、バカラック氏に絶大なる信頼を得ていた。
そして、ディオンヌは、バート・バカラックの歌集をレコードとして出している。
【主な歌曲作品】
ディオンヌ・ワーウィック 「サンホセへの道」(1968)、「ウォーク・オン・バイ」(1964)、「汽車と船と飛行機と」(1966)、「小さな願い」(1967)
アレサ・フランクリン 「小さな願い」(1968)
ジャック・ジョーンズ 「素晴らしき恋人たち」(1963)
ジーン・ピットニー 「恋の痛手」(1962)
ボビー・ヴィントン 「ブルー・オン・ブルー」(1963)
トム・ジョーンズ 「何かいいことないか、子猫ちゃん」(1965)
ジャッキー・デシャノン 「世界は愛を求めている」(1965)
ダスティ・スプリングフィールド 「恋の面影」(1967)
ハーブ・アルパート 「ディス・ガイ」(1968)
スタイリスティックス 「ユール・ネバー・ゲット・トゥ・ヘブン」(1973)
フィフス・ディメンション 「悲しみは鐘の音とともに」(1971)
1960年代~1970年代には、偉大なる3大『B』と言われていたミュージシャンがいた。勘のいい人なら直ぐにピン!(*ᐛ*)ᒃ💡と来るだろう。
それは『Beatles』『Beachboys』『Burt Bacharach』だ。
この『B』が付くバンド名や名前のミュージシャンは、屈指のメロディ~Maker🎶だということは、衆目の一致するところだ。
だけど、俺はこの時代もう1つの『B』が存在するしていて、彼らを外す訳にはいかないとおもう!4大『B』となるもう1つのグループ…
それは『Beegees』だ。納得やんね⁉️☾( ᐛ)و
閑話休題…
バカラックサウンド🎼.•*¨*•.¸¸♬🎶には、ディオンヌ以外に、もう一人欠かせないグルーブがいる。カーペンターズだ。
バカラックを大好きなアーティストとして上げていたリチャード&カレンだけど、同じA&Mレーベルの先輩としてハーブ・アルバートを介してついに巨匠に紹介してもらった。
カーペンターズを気に入ったバート・バカラックは自身が主宰するチャリティーコンサートの前座としてブッキング。
兄妹はここでバート・バカラック&ハル・デヴィッド・メドレーを披露しこれには巨匠も大満足!リチャードはキーボード、カレンはドラムを叩きながら歌う姿はこの時代にはとても新鮮に見えただろう。今の時代にも、ドラムを叩きながらヴォーカルを取る女性ミュージシャンはいないからね。
チャリティーコンサートは大成功!✨を収め、
そして次のカーペンターズのシングルは”バカラック曲♬“にしようとハーブ・アルバートが持ってきたのが”Close to You~遙かなる影“だったのだ。
この歌は、1964年にディオンヌ・ワーウィックが、1967年にダスティン・スプリングフィールドがレコーディングし、バカラック本人も1968年にセルフカバーをしているがヒット!はしなかった。
そして、最後の切り札的に1970年5月20日に、満を持してカーペンターズの”Close to You“をリリース!コレが見事に大ヒット‼️Billboard Hot 100 第1位👑Billboard Easy Listening第1位👑を獲得し、一躍、カーペンターズの名前が世界を🌍駆け巡ったのだ。
美しいバカラック•サウンド🎼.•*¨*•.¸¸♬🎶をよりブラッシュ•アップ✨させうるアーティストがまた一人誕生した。もちろん最初の1人はディオンヌ・ワーウィックだ。
今日は、ディオンヌとカーペンターズをフィーチャーしてみた。
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昔、洋楽界の3Bを尋ねられ「ビートルズ、ビーチボーイズ、ベンチャーズ」と答えたお茶目な知り合いがいました。
まぁ当時の日本での人気を考えると、ビーチボーイズも嘘くさいですけどね。
ビージーズの方がリアリティがありますね。
ちなみに私の3Bは、「ビートルズ、ボブ・ディラン、バッドフィンガー」です。
ベンチャーズは『V』やし(笑)
『No MatterWhat』のバッド•フィンガーは一発屋!くさいけどね。
まぁでも、日本では『マジック・クリスチャンのテーマ』や『Day After Day』も流行ったから違うか…