発売日 : 2010年03月24日
加瀬邦彦、2015年4月20日午後9時、自宅にて自死。 享年74歳。
沢田研二にとっての大事な大事なもう一人の兄貴分、加瀬邦彦氏。加瀬邦彦氏1941年3月6日生まれで、井上堯之氏が1941年3月15日生まれ。沢田研二は、兄貴分の加瀬邦彦氏の訃報を聞いた時の哀しみは筆舌に尽くし難いものだったと推して知るべし。
1970年代から1980年代にかけ、加瀬氏は沢田研二という時代のスーパー✨アイコンを通して日本の音楽♬シーンに大きな変革をもたらしてゆく。
「加瀬氏の功績は楽曲提供もさることながら、早川タケジ氏をアートディレクターに抜擢したこと」早川タケジ氏の考案するステージ衣装やアート・ディレクション。 “ジュリー”を創った天才的なクリエイション・ワークスがあった。
加瀬氏のプロデュース力は”勝手にしやがれ”(1977年)”カサブランカ・ダンディ”(1979年)など自身が制作に関わっていない楽曲でも発揮され、1980年の”TOKIO”で大輪の花を咲かせた。
沢田研二は、よりヴィジュアル重視にシフトチェンジしてゆき、それに合わせバックバンドをデビュー以来の井上堯之バンドから、オールウェイズやエキゾティクス等の若いバンドに切り替えるよう決断したの加瀬邦彦氏だった。時代の先を見る目は鋭い!
《加瀬邦彦の金言✨》
“音楽やプロデュース業について『2歩先だと早すぎる。1歩先だとすぐ追いつかれるから1歩半くらい先に進んでるのがちょうどいいんだよ”
加瀬邦彦氏は、幼稚舎から慶應義塾に進学し、慶應義塾高等学校1年生の時、東京都から神奈川県茅ヶ崎市に転居し、これが縁で加山雄三に出会い、音楽面のみならずプライベートでも親交を深めるようになる。
“想い出の渚”は、湘南サウンドの名曲の1つ♬茅ヶ崎市出身の桑田佳祐。映画🎦『稲村ジェーン』の劇中で、湘南のレストランでのライブシーンで、アイビー・カット&ルックのバンドのヴォーカリストに「加瀬邦彦かっ!」と、ツッコミを入れたシーンが思い出される(笑)
茅ヶ崎ローカルの桑田佳祐氏、ある意味特権階級の他所者の加瀬邦彦氏にツッコミを入れたんやろね!😁悪気は全くないよ。
ワイルド・ワンズは最後まで”グループ・サウンズ”として、ライブ活動を続けていたスーパー・バンド✨だった。
《これからもワイルドワンズをよろしく!by 鳥塚しげき》
https://www.club-willbe.jp/interview/150629toriduka_a.html
なるほど!
だから加勢大周も新加勢大周も出てきたんですね?
えっ!?どういう意味?ワシ、頭悪いからわかんなーい( ゚д゚)ポカーン