僕のラジオデイズ📻〜🎶
〜愛しの🤍一発屋❗One Hit Wonders🎶(๑╹◡╹๑)ノ♬
メンバーは、ピエール セネカル、ブライアン エドワーズ、ジム ナクター、レイバーン ブレイクからなる。
セネカルが書いた曲”霧の中の二人~アズ・ザ・イヤーズ・ゴー・バイ”は、編集された形でデビューアルバムからリリースされ、グループの最初のヒット‼️
カナダ🇨🇦で100万枚、米国🇺🇸で40万枚(エピックレーベル)のスマッシュヒット‼️になった。
バンドは実際に、アルバムへの目新しさの追加としてこの曲を書いたけど、世界的なヒット!を期待していなかったらしい。
日本でも40万枚を売り上げた。
このレコードは全世界で 100万枚以上を売り上げ、ゴールド ディスク🟡を獲得した。
”霧の中の二人~As The Years Go By”の巨大ヒット‼️は71年オリコンでも総合チャートの1位を記録している。
海外のバンドがオリコンで1位を取ったというのは実はそうあることではなかった。しかしこの時代(1968~1972年)は、洋楽の豊作の時期だった。やはり60年代後半から70年代に入ってからは洋楽の情報が爆発的💥に増えたのは確かだ。フォーク&カントリーからポップ&ロック時代の過渡期だったんだろう。⋯🤔💭
特に1969年の年は凄かった!時代的にイギリス🇬🇧では、ビートルズが“ジョンとヨーコのバラード”をリリースした頃だった。
ただ、マシュマカーンバンドとしては、バンドのイメージがこの曲で定着してしまい、アルバムを聴くと実はアート・ロック系のジャズ・ロックも演奏する本格派だったということは認知されないままだった。
この曲を聴くと何故か、中学の放課後の校庭でソフトボールしていた時の事を思い出す。今、考えてたら学校でラジオ📢流していたんやねぇ~?(੭ ᐕ)੭ アレェェ? だから想い出はいつも当時のヒット曲♬とリンクしてるのかぁ~( ᐕ)
でもなかなかアーティスティックなサウンド🎶でしょ⁉️(・ ・ )(..)ウンウン
にほんブログ村
当時のキーボードが主体の洋楽ヒット曲ではバニラファッジの「キープ・ミー・ハンギング・オン」やドアーズの「ハートに火をつけて」等がありますが、ドアーズほど暗さがなく、バニラファッジほど冗長さもなく、GSにも通ずるメロディの親しみやすさがあったのが日本で大ヒットした要因でしょう。
原題とはかけ離れた邦題の「霧の中の二人」というのも、なんとなくイントロのモヤモヤした音色の感じを表していて良かったのではないでしょうか。
御意!
数々の取り上げてる曲から、サイチンさんとは同じ世代みたいですね
中学〜高校の頃にヒットした曲を聴くと、まさに当時の記憶が蘇ります
何十年振りに耳にしても、メロディや歌詞がスラスラと出て来ます
曲によっては、あの時あの場所で流れててなと、その瞬間がフラッシュバックしてしまいますね
しかし当時はかなりのヒット出しながらも一発屋二発屋か多かった印象です
そういえばバブルガムミュージックなんてのも有ったけと、なかなか上手いネーミングです
リロさんとは同世代なら今後上げる曲、約50曲は一発屋!のものです。
1910フルーツ・ガム・カンパニーも出てきますよ。
パブルガム・ミュージックのサウンドの特徴はポップでキャッチーなメロディー、シンプルな和音、シンプルなハーモニーでアップビートな曲の事を言うんだけど、見た目バブルガムのようにカラフルで、ポップで甘酸っぱいサウンド…と、認識してます。
音楽は思い出とセットになってるものです。
懐古趣味と言えばそれまでですが、未来に大して希望の持てない今の時代、古き良き昭和のあの頃を思い出すのが悪いことだとは思わない。
昔は思っていたけどね。
だから、頭の中でタイム・トリップしてます。(笑)
元々オイラは、過ぎ去った事を振り返る事はなかったんやけど…いつの間にか…(笑)