《僕のラジオ・デイズ📻〜🎶》
作詞:吉岡治
作曲:河村利夫
1948年(昭和23年)9月25日生まれ。神戸市の高校(どこやったんやろ??気になるわぁ〜😮)を中退後、日本歌劇学校を経てOSK日本歌劇団に入団した。
1969年に『真夜中のギター』でデビュー✨!同曲で第11回日本レコード大賞新人賞を受賞🏆した。この曲はフォークソングの名曲として親しまれ、後世まで多くのアーティストにカバーされている(高田みづえ、島谷ひとみ、徳永英明)
当時、ヤンリク📻でも良くかかっていて、オリコンチャート最高位は4位⬆。
まさに真夜中🌃に聴く、”真夜中のギター”だった。この曲もよく窓を開けて星を見上げながら聴いていた。☆彡
千賀かほると言えばこの曲で、言葉は良くないけど『一発屋!』(洋楽なら平気で言えるけど、日本のミュージシャンには言い辛い(*ノω・*)テヘ)でした。
「愛をなくして〜」のところの声の変わり具合の感じが演歌調で、人が変わったように聴こえたもの(笑)「彷徨う〜」が「彷徨お〜」というビブラートの発音に思わず耳がダンボに🐘なってしまった。(笑)途中からビブラートがずっとかけて歌ってるけど、フォーク・ソングなら、かけないで歌って欲しかった。演歌歌謡になってしまうからね。
丁度、この頃に中山千夏の『あなたの心に』にもランクインしてきて、どっちがどっちかわからなくなったりしてた…(*ノω・*)テヘ! 二人とも歌い方癖があるね。フォークなら自然に歌ってほしい、森山良子のように…「森山良子も癖ある…(゚д゚)!」
1971年のシングル曲「雲は旅びと」は、NHK『みんなのうた』で放送された。
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「真夜中のギター」、コードもメロディも簡単なので、10代の頃はギターを弾きながらよく歌ったものです。
最近の歌はコードはおろかメロディも複雑なので、カラオケで歌うのにも四苦八苦して、大変です。
若い子達が簡単に歌いこなすのには、単純に頭が下がります。
この曲の作詞をした吉岡治氏は「天城越え」や「さざんかの宿」など演歌の作詞家として有名ですが、若い頃はこんなフォーク調の曲も作詞していたんですね。今回、初めて気付いたので、驚きました。
よく吉岡治の名前を知ってたね!
俺は、富千代(西友富田林&千代田店)時代は”演歌も斎藤”という名を欲しいままにしていた(笑)
ポリドールの営業マンに、ポリドールが初のカラオケカセットを発売すると言って「”演歌も斎藤店長ということで、4曲!選曲してください。そのまま商品化しますんで!」と言われて選曲した、
確か①氷雨②浪花恋しぐれ③ラヴ・イズ・オーヴァー④矢切の渡し の選曲したと思う。
ボビーは、しょっちゅうカラオケに行ってるんやね。
趣味の1つなのかな?
昔、安中とオイラの友達の行政書士の女子と、北新地で、安中の知り合いのレストランで飯を食って、その後にカラオケに行った。
オールで歌って30000円くらい取られて、びっくらこいた!(@@)
その4曲の演歌の組み合わせは80年代前半の鉄板の組み合わせですね。テイチクかコロムビアで似たような組み合わせのカラオケテープがあって、大量に売った記憶があります。
80年代前半は今のカラオケボックスのような手軽なスタイルではなく、他の客と共用で、順番にミラーボールが頭上に輝くステージに上がり、リクエストした曲を歌うのが主流でしたね。
「星のフラメンコ」を歌った時が他の客も含めて1番受けた記憶があります。
当時はカラオケで洋楽が気軽に歌えるようになるとは夢にも思っていませんでした。
大体は、「ラブイズオーヴァー」がなくて、「さざんかの宿」やったからね。
女性も歌えるのを1曲半入れた訳よ。
「浪花恋しぐれは」デュエット曲やから半分ということで。(笑)
「浪花節だよ人生は」になってましたよ。私は「浪花恋しぐれ」の方が良いと思いますが。
「氷雨」も男バージョン・女バージョンがあるので、そういう意味でも良い組み合わせですね。
「矢切の渡し」は、ちあきなおみヴァージョンもある。
そして「ラブ・イズ・オーヴァー」はたかじんも歌っていたし、男女が楽しめる組み合わせにしたのよ。
浪花恋しぐれと間違ってかいてたね。
訂正したよ。Sunkus/
カスタネット持ったのかい!?(笑)