《僕のラジオ・デイズ📻〜🎶》
“初恋のひと“は、1969年1月21日に発売された小川知子の4枚目のシングル。
作詞:有馬 三恵子
作曲:鈴木 淳
《チャート最高⬆順位》
オリコン 週間4位
オリコンチャートの週間順位で最高4位⬆を獲得し、累計売り上げは32.6万枚を記録。彼女のシングルとしてはデビューシングルである“ゆうべの秘密”(1968年)に次ぐヒット!となり、1969年末の『第20回NHK紅白歌合戦』へ2年連続2回目の出場を果たし表題曲を披露した。
1969年2月24日に生放送の音楽番組『夜のヒットスタジオ』に出演し表題曲を歌唱した。しかし同年の2月12日、当時小川の恋人だったカーレーサーの、福澤幸雄が試験走行中に事故死してしまったことから、同曲の2番目の歌唱中に泣き崩れ歌えなくなってしまうハプニングが発生した。その時に初めて『英雄は早死にする』という都市伝説を俺は信じた"美人薄命にして才子多病なり…"ということだろう。
この頃は断トツ!に可愛かった歌手だ。小柄な小川知子は”妖精💛”とも言われ、当時の人気は凄かった!
そして1983年、テレビドラマ『金曜日の妻たちへ』での小川知子はさらに美しく✨魅力的💋だった。
谷村新司とのデュエット”忘れていいの〜愛の幕切れ“が大ヒット!するなど、歌手としても成功を収めた小川知子は、歌が巧い。
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私も「ゆうべの秘密」より「初恋のひと」派です。
大学時代、サークルの1年先輩に小川知子似のちょっと色っぽい女性がいました。
無口なのですが、お酒好きで、よくサークル仲間で飲みに行きました。
そのうち、サークルOBの方とオトナの関係になってしまいました。
そのOBに私も可愛がられていたので、たまに3人で飲みに行くこともありました。
そんなある日、OBが席を離れた時、無口な彼女が私を見つめて「Bobby君、いつもいい男ぶってんじゃないのよ!たまにはガツンといかないと。」と言って色っぽい眼で見つめてきました。
すぐにOBが戻ってきたので、何にもありませんでしたが、妙にドキドキした瞬間でした。
私の頭の中には小川知子の「初恋のひと」が何度もリフレインしていたのは言うまでもありません。。
OBであろうが、先輩であろうが、正々堂々と取り合いすればいいじゃないか!
より、積極的に行った方が勝利者!になるのだから…
遠慮は必要ない!恋は生殺与奪!弱肉強食、先んずれば人を制す!だべ?
Saichinのその積極性、闘魂、いつも羨ましく思っています。
まだティーンエイジャーのサクランボーイにはハードルが高過ぎました。
まぁ小川知子よりも榊原るみ好きだったのもありますが。
その後、Saichinの積極性に感化され、遠慮がなくなり、N嶋先輩やSちん先輩には呆れられましたが・・・
たぶんだけど、ボビーの女性の趣味は”純情派”だと思うのよ。
例えば、桜田淳子、伊藤麻衣子、小川典子、伊藤つかさ、裕木奈江辺りだと思う。これはあくまで想像やけどね。
そういうタイプになるとアプローチの仕方も変わってくるやろし、只々猪突猛進!ではかわされそうやし、変化球も遣いながらのジワジワと…って感じかもね。
伊藤麻衣子以外は、どストライクでした!よくわかりますね。
今はストライクゾーンが10倍以上拡がっているので、若い頃、もっと悪球にも手を出していたらと後悔しています。
君も岩鬼になれればストライクは振らずに、悪球打ちの名打者になっていたやろね。
オイラは選球眼はすこぶる良かったよ。
そしてそのゾーンに入ってきたら、放り込む!何を!?(゜o゜;
N嶋もS沢氏も同類やろね。