《僕のラジオ・デイズ📻〜🎶》〜愛しの💙一発屋!!One Hit Wonders(๑╹◡╹๑)ノ♬
1967年にブッダレコードのジェフリー・カッツと契約し、『1910フルーツガム・カンパニー』に改名した。
1970年解散。1971年8月6日・7日に箱根芦ノ湖畔で行なわれた野外コンサート「箱根アフロディーテ」に海外からのゲストとしてバフィー・セントメリー、ピンク・フロイド(ピンク・フロイドが箱根に来たって凄い!(=o=;))と共に出演(当時”トレイン“が日本で大ヒット‼️していた)
【箱根アフロディーテについて】
1971年8月6日と7日2日間に渡って箱根芦ノ湖畔成蹊学園所有乗風台で開催された、ニッポン放送主催、海外アーティストを招聘した日本初の大規模野外ロック・フェスティヴァル。南こうせつとかぐや姫、トワ・エ・モア、尾崎紀世彦、ハプニングス・フォー、モップス、赤い鳥、ダークダックス、成毛滋 & つのだひろ、渡辺貞夫グループ、山下洋輔、菊地雅章、佐藤允彦他ジャンルを超えた当時の日本のアーティストとともに、海外からはピンク・フロイド、1910フルーツガム・カンパニー、バフィー・セントメリーが参加。いわゆるフジロックやサマーソニックの原点ともいえる伝説の野外ロック・フェス。
代表曲はバブルガム・ポップの傑作!✨として名高い“サイモン・セッズ”(1967)や”ワン・ツー・スリー・レッド・ライト”そして、日本だけの大ヒット‼️となった、トレイン(1969年10/10発売)オリコン5位。そして、”愛の設計〜When We Get Married”1970年3/10 オリコン55位…洋楽好きならここまでは覚えているハズだ!
俺は大ヒット‼️した”トレイン“よりも断然!”サイモン・セッズ“派なのだ。”サイモン・セッズ“は中学の時の高野君に教えてもらった。(*゚∀゚)バブルガム・ポップ🍭だ。
とにかく、トレインは1969年11月から翌年4月にかけて日本だけでのヒット‼️で、オリコンでは5位も、ヤンリクでは数ヶ月常に1位だった印象がある。激しいオルガンの音とブラスが特徴で、まるて蒸気機関車がこちらに向かって走ってくるサウンド作りがよかった。でも、俺はこの”トレイン”が、数ヶ月もランキンがトップに君臨するほどの曲かな…とずっと思っていた。
“When We Get Married”が、ビートルズの“Don’t Let Me Down”にしか聴こえてこなかった(≧▽≦)
“Don’t Let Me Down”が1969年4月リリースだから、同年10月にリリースしたこの”愛の設計”で1910がシッカリと拝借しちゃったのかな?( ╹▽╹ )ビートルズパクっちゃうって凄いな!みんなにバレちゃうでしょ⁉️(≧▽≦)
サイモン・セッズというタイトル…一時オイラのニックネームは、サイモンだった。「男なら愚痴るな!」と、サイモンか言ってるよ!🤓”Saimon Says“
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私もこの中なら「サイモン・セッズ」が好きです。
「トレイン」はどことなくボックス・トップスの「ザ・レター」に似てるような気がします。
「愛の設計」はおっしゃる通り、サビが「ドント・レット・ミー・ダウン」ですね。
まぁ、どれも気軽に聴くには楽しくて良いと思いますが。