《J-POP♬シティ・ポップ🎶》
⚪”カンナ8号線”は松任谷由実12枚目のオリジナルアルバム『昨晩お会いしましょう』収録曲
⚪リリース:1981年11月1日
《アルバム・チャート最高順位🔝》
⚪オリコン:週間1位
“カンナ8号線”は、朗々とした松原正樹のエレキ・ギターの演奏で知られるミディアム・ナンバー。ユーミンのライブの定番曲である。誰もが見過ごすような中央分離帯のカンナの花に、かつての恋心の輝きを投影するという、ユーミンならではの着想が光る✨
曲名は”カンナ”の花と”環状8号線”にかけている。
チェックのシャツが風にふくらむうしろ姿を
波をバックに焼きつけたかった まぶたの奥に
それははかない日光写真 せつないかげろう
胸のアルバム閉じる日が来るの こわかったずっと
雲の影があなたを横切り…
想い出にひかれて
ああ ここまで来たけれども
あのころの二人はもうどこにもいない
カンナの花が燃えてゆれてた 中央分離帯
どこへ行こうか待ちどおしかった日よう日
いつかさそって昔のように 笑いころげたい
うらまないのもかわいくないでしょう
だから気にせずに
ドアを開けて波をきこうよ…
※想い出にひかれて
ああ ここまで来たけれども
あのころの二人はもうどこにもいない※
1 | タワー・サイド・メモリー |
2 | 街角のペシミスト |
3 | ビュッフェにて |
4 | 夕闇をひとり |
5 | 守ってあげたい |
6 | カンナ8号線 |
7 | 手のひらの東京タワー |
8 | グレイス・スリックの肖像 |
9 | グループ |
10 | A HAPPY NEW YEAR |
ジャケットのデザインは🇬🇧のヒプノシス(Hipgnosisは、イギリスのデザイン・アートグループ)が手がけ、ユーミンに後ろ姿が似たモデルを起用している。すべての人はこのトレンチコートの女性はユーミン本人だと思ったよね。
幾度となくこのアルバムのエピソードをコラムに書いているけど、オイラが長渕の”とんぼ”した25歳の時の話だ。
当時のディスクポート西武(のちのWAVE)船橋店に赴任した時にちょうどリリースしたアルバムで、俺は自称『ユーミン博士』と豪語していて、このアルバム発売のステージのディスプレーの造作を買って出たのだ。
手を挙げたからには、完璧なステージを造りあげないといけない。オイラは徹夜をしてそのステージの造作を完成させた。使えるメーカーからの宣材は、レコードのJKT10枚のみ。アイキャッチの看板は、バルサ(120cm✕30cm)という木材かっで大きな五線紙を造り、裏に黄色のセロハンを貼り、ト音記号🎼とYumingという字体を音符になぞらえて右上がりに🧶毛糸で模したものを作った。
キャッチコピーは今でも覚えていて、“天使が降りてきそうな午後…ユーミンが落とした一雫の♪音符は、やがて大きな湖の波紋となった…”
なんかよくわからないコピーやけど(*ノω・*)テヘ!まぁ、25歳のオイラの考えた精一杯のコピーだった(ーー;)
そのディスプレーが思いの外、好評でその時の店長代行のT氏がさらに、ステージをヴォリュームを持たせ、華やかにするために、過去のアルバムをユーミンのコーナーにアルバムが各1枚ずつあるにも関わらず、さらに展示用に複数枚オーダーして飾ってくれた。西武の販売部長「コレ、誰が造ったの?凄いじゃない!」と、褒められ、オイラの初仕事をみんなに認められた出来事でもあった。
それにしてもこのアルバム、当時は地味だと感じていたけど、佳曲✨が多く入ってるよね!神戸育ちのオイラに勇気をくれた”タワー・サイド・メモリー“がオープニングに入ってる。阪神大震災で神戸の街が被害に遭ったときは、自身が担当する『オールナイトニッポン』でほとんど号泣状態だった。コンサートの神戸公演でのアンコールでは、必ず歌われる曲だ。
80年代前半のユーミンの最大のヒット曲‼️”守ってあげたい“が入っている。ユーミンが言うには”ピンク色“の曲らしい。この曲の大ヒット‼️で、夜ヒットに久々に登場したのを見てオイラは感激!したのを覚えている。
ラストにはこんなにも素敵な曲が収められている。
T氏とは私と海援隊と一緒にジョージのコンサートを観に行った「タレちゃん」のことですか?
「カンナ8号線」はちょうど40年前の今頃、伊豆の貸別荘に車で一緒に出掛けた柏原芳恵似のゼミの同級生の女のコが好きな歌だったので、カーステレオでガンガン流しながら下田への道を走ったことを思い出させてくれる想い出のナンバーです。
今度「想い出に惹かれて」伊豆まで1人でドライブに行ってみようと思います。「カンナ8号線」をカーステレオで鳴らしながら。
君には過去を懐かしむ趣味はないと思ってた。オイラはあるけどね。
タレちゃんは当時は、浦安店の店長で、このT氏はツリちゃんと呼ばれていて、原ブーのお気に入りだった。
あのN氏が尊敬する数少ない人物。渋谷店から新潟WAVEのマネージャーになったんかな??
タレちゃんはオレも仲が良かったよ、
高槻店に急に転勤になったりしたしね。とにかく、麻雀の弱いパイセンやった。(笑)
ツリちゃんですか。私は面識はありませんが、H部長に可愛がられていた六本木WAVEオーブン時の輸入盤のマネージャーです。
WAVEオーブン前に、経歴も年齢も上の池袋店の輸入盤マネージャーが「何で俺じゃなくて、Tなんだ。」と憤慨していたのを鮮明に覚えています。
ツリちゃんは、ファンクやR&Bの輸入盤のオーソリティーだった。
H部長ののお気に入りだったし、渋谷店のN君も尊敬してたな。ツリちゃんはぶっきらぼうやったけど、よく俺の話を拾ってくれた。いかにも東京人というタイプ。今で言う落合陽一氏みたいな雰囲気があった。オイラの数少ないリスペクトしていた1人。