❝Mandolay❞とは、スペインのディスコディスコ🌐✨️で踊る小麦色の女の子の名前。
80年代のディスコ🌐✨️でハズすことができないArt Attackの❝Mandolay❞ (1984年)まるでマイケル・ジャクソンの曲!ギターもスラッシュ🎸を思わせるノリが抜群‼️の、ディスコ🌐✨️フリークにはお馴染みのこのヒット‼️ナンバー🎶は、ユーロ独特のちょっと陰がありながらも、メロディもテンポも情熱的なラテン系のカッコいい✨️チューン🎶オンドレ🤬マンドレ〜なのだ。カッコいいでしょ⁉️🤠
おいら的には第三次ディスコ🌐✨️ブームで、めちゃくちゃ流行ってた。この頃は、ミナミの宗右衛門町ダイヤモンドビルにあったディスコ🌐✨️『ジジック』に行っていた。大阪デザイナー学院のディスプレー科に籍を置いていて、クラスの女子達とたまに行っていった時にめちゃくちゃかかってた。しかし、超カッコいい曲で、超ダサいJKTやね😁
【ディスコ🌐✨️ジジック】
大阪ミナミの宗右衛門町にあった❝ジジック❞は、MAHARAJA(マハラジャ)の原形。大阪の遊び人はみんな行っていた、大阪のNo.1ディスコ🌐✨️
大阪『泥棒貴族』などを運営していた大阪レジャー開発株式会社が、1981年11月7日にミナミのディスコ『ジジック』をオープン。ライティングショーを取り入れたDJパフォーマンスと、チェックアウトシステム(入替制)を導入するほどの大成功により、その勢いで1982年(昭和57年)8月13日ジジックの階下に、オリエンタルで豪華な内装(原形は六本木ラジャコート)のマハラジャ1号店をオープンさせた。さらに半年ほどでジジックの売り上げを抜き、大阪No.1の人気ディスコ🌐✨️となりチェーン展開が決定。なおジジックは仙台・新潟・福岡にもオープン。おいらの出身地の仙台にもあったのは知らなかった。
80年代には、EW&Fやマドンナ等がガンガンかかっていた。中でも一発屋‼️だけど、1番ウケてたチューン🎶がこの❝Mandolay❞で、この曲のイントロがかかったら皆が一斉にフロアに向って、ボックスには誰もいない、まさに”踊らにゃソンソン💃” 状態だった。このチューン🎶は、イントロが長いので一番ノリのいい導入パートには間に合うからいい!🤩
おいらはこの12インチレコードを持っていた。WAVEの西友店舗でマネージャーをしていた。この12inchレコードは輸入盤しか発売されてなくて、店で数枚仕入れたら、客が「よく置いてますね!🤩」と、褒められた??😁そこが、レコード屋として、サブカルチャーで流行ってるレコードを仕入れ、それが飛ぶように売れるのが醍醐味だった。
この頃は、ミナミの宗右衛門町の❝ジジック❞にたまに行っていた。空手家の角田信明が用心棒をやっていたという噂があった店だ。なんでディスコ🌐✨️に用心棒が必要なのかって??(゜o゜; 昔は、女の子の取り合いでよく喧嘩になっていたから。そんな修羅場に遭遇したこともあるし。まぁ、質の悪い酔っ払いが店で暴れることもあるから必要なんやろね。🤠
本作は、アメリカのBillboard HOT🔥200で4位、R&Bアルバム・チャートでは3位に達した。
1984年8月にはRIAAによってプラチナ・ディスクに認定され、同年10月にはWプラチナに認定された。
TOTOプロデュース リード・ヴォーカルは
マイケルとジャーメイン・ジャクソン
当時、”父の日🎌”によく店で流してたな😁
しかし、この曲もイントロ長いねぇ〜🥴
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