おいらが一番よく観て知ってる聖子ちゃんのお顔💆
❝赤いスイートピー❞松任谷由実の作曲による松田聖子への初提供作。松田聖子の楽曲の中で特に人気の高い曲の一つであり、彼女自身も好きな曲として挙げる事が多い。また本曲を境に同性(女性)のファンの比率が上がったと語っている。昭和55年に❝裸足の季節❞でデビューした松田聖子は、愛らしいルックスと歌唱力で一気にトップアイドル⤴️となったが、声を張り上げて高音のサビなどを歌うスタイルとその抜群!の声量を生かす楽曲が彼女の喉を蝕んでいたのも事実で、6枚目のシングル❝白いパラソル❞から松本隆が楽曲をプロデュースするようになり、聖子ちゃんは声を張り上げるのではなく、しっとりと歌い上げるスタイルに路線変更を図った。松本隆が詞を書き、大物シンガー・ソングライター(ユーミン、大瀧詠一、細野晴臣、財津和夫、尾崎亜美達)達が曲をつけた個性的な楽曲の数々を歌いこなし、他のアイドル歌謡とは一線を画す、どの曲もキャッチーな、❝SEIKO🩵サウンド🎶❞として最盛期✨️を迎えた。
ご存知!松本隆は元❝はっぴいえんど❞のドラマー。大瀧詠一にも細野晴臣に楽曲制作の依頼なら一つ返事だっただろう!ユーミンとも、旧知の仲だったので自然にユーミンに楽曲制作を依頼出来たハズ。なので、聖子ちゃんと松本隆は運命的な出会いだったんだろう。



松本隆が「永遠のライバル」と認める松任谷由実さん(作詞家として)その出会いは1972年頃、はっぴいえんどの当時の事務所〈風都市〉でした。でも、それより前の69年頃、私は一方的に遭遇してるんです。

松本さんが細野(晴臣)さんや小坂忠さんたちと一緒にエイプリル・フールというバンドをやっていたとき、ライブを観に行きました。六本木の〈スピード〉というディスコ🌐✨️に潜り込んで。当時私は中学3年。早熟だったんですね(笑)13、14の頃からそういった場所に出入りしてたから、そのときもヒップな大人たちにくっついていって。
いま考えると、当時の音楽シーンはスモールワールド。東京の私立校系ボーイズ(慶応、青山 明治)たちのカルチャーでした。非常にエッジィで高い音楽的センスを持った品のいい人たちが集まってて。しかもなんとなくみんな知り合いでみんな友達。だからなのか、いまだに自分がプロフェッショナルだというカンジがしないんです。
松本さんもたぶんそうだと思う。ちょっとだけ本流じゃないところにいる、そんな感覚をずっと持ち続けているんだと思います。それから3年ほど経って私もデビューが決まった頃、市ヶ谷にあった〈風都市〉に行きました。当時付き合いだした松任谷(正隆)がお給料をもらいに行くというのでくっついていって。
松本さんに挨拶したら、「ああ、君が噂の荒井由実さん?」って。「噂の」っていうのは、松任谷のガールフレンドだということなのか、アルファレコードがデビューさせようとしている❝天才少女❞ということなのか、どっちかわからないんですけれど(笑)
【BRUTUS】
やはり、スノッブはスノッブ同士。いとも簡単に出会ってしまうんやろね。天才✨️少女ユーミンまで引き寄せてしまう❝はっぴいえんど❞の磁力🧲は凄かった!
少女から大人の女性に変わってゆく聖子ちゃんの人気は、ユーミンの力によって、女性ファンが急増したきっかけになった楽曲だ。それまでは嘘泣き、カメラ目線の聖子と、少しウザがられていたしね。それを、この1曲で、ちゃぶ台返しをしちゃったんよね〜(╯°□°)╯︵ ┻━┻当時のユーミンの人気たるや、女子の恋愛や生き方の教祖みたいな存在だったから。
聖子ちゃんは、小田裕一郎と三浦徳子から松本隆、ユーミンと、❝匠の音楽人❞との出会いがあったから、アイドルの頂点を極めることが出来たのだろう。




赤いスイトピーのシングル盤は、究極✨️の春🌸🌸ソングのカップリングなのだ。

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確かに「赤いスイートピー」で松田聖子のアーティストとしてのステージは一段上がりましたね。私もすぐにお気に入りの楽曲となり、久しぶりにパチンコ屋でシングル盤をゲットしました。
呉田軽穂提供の松田聖子の楽曲は後の「瞳はダイアモンド」や「蒼いフォトグラフ」も含め名曲だらけですね。こんなに良い曲を他人に提供するユーミンはなんて気前が良いんだと感心してしまいます。
「瞳はダイアモンド」のリリースの日は既にレコード屋に就職し、福井に転勤した日だったので、感慨深いものがあります。
あまりに「瞳はダイアモンド」のシングル盤が売れて忙しかったので、その日は僻地に島流しされた寂しさを忘れてしまいました。
その後、立て続けにベストアルバム「Seiko Plaza」、オリジナルアルバム「Canary」が発売され、これらも爆発的に売れて、その年の初冬はほぼ松田聖子ばかり売り場で聴いて忙しくしていたので,外では1メートルを超える雪が積もっている荒涼とした寂しさにも気づくことなく、嬉々として働いていました。
そういう意味では松田聖子のこれらの楽曲達も個人的にはユーフォリア・ミュージックと言えるのでしょう。
それと、Bobbyさんの好きなアイドルは、トーラスレコードのの小川範子一本背負い!だと思ってた。早稲田大学の後輩だからかな?
松本隆の戦略は見事に当たったね。聖子サウンドだけ、他のアイドルとは一線を画したものだった。おいらも、聖子の曲を聴くと、”風立ちぬ”は、川西店の店長が病気でおいらが代わりに1日店長で店に車で行った時、カーラジオから流れてきたり、富田林店では”秘密の花園”や”天国のキッス”が流行ってた時期で、聖子ちゃんのベスト・トラックといえる”瞳はダイヤモンド”は高槻店やったなぁ〜とか…
福井店の日髙店長には、妙に好かれていて、棚卸しの手伝いに言った頃、”瞳はダイヤモンド”だったような気がするよ…
レコード業界志望だった私は唯一トーラスレコードのみ最終の5次面接まで残っていました。
当時の社長から「言いたいことがあれば」と聞かれた時、演歌とアイドルのトーラスレコードなのに「洋楽部門を立ち上げたい」と言って不興を買ったのを今でも覚えています。
所属アーティストの早見優やテレサ・テン、牧村三枝子は後から好きになったので、迎合しておけば良かったかもしれません。
後輩の小川範子のプロデューサーになってたかもしれないのにね。
へぇ〜そんな話しは初耳やね。おいらはCBSソニーは二次面接で落ちて、ビクターは最終面接で落ちたのよ。CBSソニーでは、SDという、ミュージシャン発掘をしたかったんよね。同じような希望やったんやね。
「瞳はダイアモンド」も名曲ですね。その曲がでた時は既に私は福井店で働いていたので、もう少し前の時期かもしれませんね。棚卸しは2月か8月だし。