❝春よ、来い❞は、松任谷由実の26枚目のシングル。1994年(平成6年)10月24日に東芝EMIからリリースされた 26枚目のオリジナルアルバム『THE DANCING SUN』にはこのAlbum Mixを収録。
多くの歌手の楽曲には、季節を感じさせる曲が数多く存在する。だが、それが必ずしも季節だけを問うたものではない時もある。
この曲は、音楽の教科書にも掲載されるほど歌詞の日本語が美しく、言わば『日本風』な曲のように思われることが多いが、この曲には多くの要素が含まれた楽曲となっている。 プロデューサー松任谷正隆もこの曲に関して民族音楽のような要素もあると話している。日本に限らず、「民族」その土地に根付いている音楽の要素を入れることでより、懐かしさや物悲しさが表現できている。だからこそ、多くの人々が愛し、歌い継がれている楽曲になっているのだ。

松任谷由実も『好き💜』だと言って憚らない桑田佳祐も『和』曲を数多く書いている。若い時はピンとこなくても、歳を重ねる毎にその曲を好きになってゆく。古き良き日本へのセンチメンタリズムなんだろう。人は子供の頃は、日本人ではなく、欧米人のマインドを持ってる時期がありそうだ。歳を重ねる毎に日本人の心が沸々と湧き上がってくる。❝日本を好きになること=大人になること❞なのかも知れない🤠。

この❝春よ、来い❞が発売された頃はおいらは、神戸WAVEのマネージャーで、38歳というもう若くはない年齢を迎えても、この曲にはそれほど感銘💜は受けなかった。その頃、おいらはまだまだ欧米男だったと思う。ファッション的にも、まだ誰も着ていなかったノース・フェイスのブラック・ダウンにホワイトジーンズを穿いて、颯爽と出社していた。アメカジだ。日本男児なら、羽織袴で出社せねばならない😁。洋楽は洒落た欧羅巴の音楽やボサ・ノヴァやアシッド・ジャズ等を聴いていた。『和』なんて蚊帳の外だった。この曲もその程度だった。良い曲なのは解っていたけど…
それからあの未曽有の大災害が起き、神戸市周辺の市も壊滅的な災害に見舞われた。おいらは、数多くの悲しみや不幸を経験し、人生イケイケ!ではない事をようやく知った。その辺りから純日本🇯🇵的な音楽も好きになってきた。昔は、何とも思わなかったた松任谷由実の❝晩夏❞ ❝夕涼み❞や❝9月の蝉時雨❞に、心を打たれるようになった( ꈍᴗꈍ)。
“空色は水色に 茜は紅に 藍色は群青に 薄暮は紫に”なんて美しい歌詞なんだろう( ꈍᴗꈍ)美術家の彼女にしか書けないね。
サザンオールスターズなら❝鎌倉物語❞かな??
今のクソみたいな世の中だから、旧き美しく不便な昭和がとても懐かしく感じる。極論すれば、平成なんて失われた31年だっちゅーの!だから、余計に原風景の日本🎋🏯🎍が、今はとても好きだ。❝春よ、来い❞のイントロから泣けてきたりする…(TT)年齢がいけば誰しもそうなるもの。洒落た🇮🇹フィレンツェや、陽気なHAWAIIもいいけど、いなたい馬込の宿なんかに心惹かれのだ。

今年こそ、初秋に🎑団塊ボーイズと、岐阜の旅の宿へ、ツーリングに行こう。(θ‿θ)
“ささやかな人生”なんて嫌だ!”はなやかな人生”がいい!🤠🤓

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