“夜のヒット・スタジオ“は本当に、素晴らしい歌番組だった。(θ‿θ)いつも百恵ちゃん、秀樹、ジュリー、聖子ちゃんが出ていたように思う。
あおい輝彦、飯野おさみ、中谷良、の4人で、飯野おさみと中谷良が、駆けつけあおい輝彦と、ともに踊り、大ヒット‼️を祝った。
映像にあるように、飯野おさみ氏の笑顔がいいね。🤗 本当に楽しくステップを踏んでいるのが微笑ましく、後のジャニーズのアイドルとは一線を画して大人やね。けれん味のないステップを踏んで、楽しく踊っているのがとても好感が持てるし、何よりカッコいい!🤓
そして井上順はもちろん、秀樹はいつもゲストを迎えるときには、わざわざ立ったり、一緒に踊ったり、常に礼儀正しくマナーが素敵だ。森進一、山口百恵、二葉百合子、和田アキ子、西川峰子が懐かしい。夜ヒットはそんなスターの素顔が見えて、みんな和気あいあいとした雰囲気が観ていても楽しかった。♡(ӦvӦ。)何度でも観たくなる映像やね。第三倉庫さん、ありがとう( ꈍᴗꈍ)
《あおい輝彦のヒット曲🎶》
⚪二人の世界(1971年02月)最高順位:3位 オリコン登場回数:27週
⚪あなただけを(1976年06月)最高順位:1位👑オリコン登場回数:34週
⚪Hi-Hi-Hi(1977年03月)最高順位:7位 オリコン登場回数:18週
⚪センチメンタル・カーニバル(1977年06月)
最高順位:8位 オリコン登場回数:15週
“夜のヒット・スタジオ”のサブスクあれば、ずっと観てられるのになぁ〜ヾ(*’O’*)/
ちなみに”夜のヒットスタジオ“は、フジテレビ系列で1968年11月から1990年10月の22年間放送された。おいらが12歳から34歳まで観てたんやね。まさに、おいらの青春と共に…やね。🤗最高視聴率は1969年3月17日に記録した42.2%を誇る人気番組だった。
歌手やミュージシャンが和気あいあいで、ホントスターの”素“が垣間見える楽しい音楽番組だった。司会の、人たらしの井上順とお洒落な芳村真理が良かったんやろね。不世出の音楽番組だ。
しかし、 ❝貴方が望むなら、わたし何をされてもいいわ❞って、すごい歌詞やね!(゜o゜; この”青い果実”の作詞は、千家和也で、作曲は都倉俊一だ。
「あなただけを」は大好きな曲で、コードも簡単だったので、よくギターを弾きながら歌ったものです。
この曲の作詞がガロのボーカルこと大野真澄なのはわりと有名な話ですが、作曲がその昔、吉田拓郎のでバックバンドをやっていた「猫」の常富嘉雄なのは、語られることが少ないのではないでしょうか。
「雪」「地下鉄に乗って」「各駅停車」などのヒットも放ったバンドで、密かに応援していました。
時は経ち、渋谷LOFTの1階にあったWAVEの入り口で1990年に杏里の新CDの販売イベントをやった時にFOR LIFEレコードから販売応援のキャンペーン・ガールが派遣されてきました。当然3日間のイベント終了時には打ち上げの祝杯を一緒にあげたのですが、その時に彼女から今回のキャンペーンはFOR LIFEの常富さんからの依頼でやって来たことを打ち明けられました。私は常富なんて名字はそうはないので、猫の常富氏だとピンときました。彼女に彼は昔、売れっ子のミュージシャンだったんだと伝えましたが、あまり腑に落ちなかったようで、今は普通のオジサンだよと言われました。
彼女は杏里のような栗色の長い髪をなびかせた美人だったので、「あなただけを」という気持ちで、その後もアプローチしてみましたが、「ふたりの世界」はそれ以来訪れませんでした。
後で調べたら常富氏は猫解散後、FOR LIFEレコードの役員になっていたとのことでした。
そう!常富嘉雄は猫だった。俺は、拓郎に贈られた“地下鉄に乗って“が、高校の時の思い出の曲で、赤坂見附に本社が移転したWAVEに就職するとは夢にも思わなかった。新宿はアルタ前で女子と待ち合わせし、朝まで小料理屋で飲んだり、最初に就職した東急建設のオリエンテーションでホテルを抜け出し、『ツバキハウス』に踊りに行った事を思い出す。
君は女子へのアプローチ、失敗ばかりしてたんやね。(笑)