作詞・作曲はベイリー、コリンズ、それにレコーディングでベースを担当したネイザン・イーストの3人による。フィリップ・ベイリー名義のアルバム『チャイニーズ・ウォール』(1984年)に収録され、シングル・カットされて大ヒット‼️した。ジョン・ポトカーによるリミックス・ヴァージョンを収録した12インチ・シングルもリリースされている。
🇬🇧プログレバンド❝GENESIS〜ジェネシス❞のドラム&ヴォーカルだったフィル・コリンズと、70年代~80年代初頭のディスコ🌐シーンを席巻!した米🇺🇸ファンク / ソウルグループ、EW&のリードシンガーのフィリップ・ベイリーがコラボ! 誰もが予想だにしなかったこの異色のタッグは、予想以上のケミストリーを生み出して、世界的🌐な大ヒット‼️を記録した。
そもそもジェネシスがフィルを前面に押し出して、ポップ・フィールド進出の取っ掛かりとしたのが、EW&Fのホーンセクションを導入してヒット‼️させた❝ノー・リプライ・アット・オール❞だった。アルバム『abacab』に収録されている。
この曲がリリースされた頃、おいらはWAVE千代田店でマネージャーをしていて、12インチシングルを買った。この頃はR&Bが好きで、ディスコ🌐でこの曲で狂ったように踊っていた🕺ってのは嘘です😁普通に下手くそなダンスをしていました(*ノω・*)テヘ!
当時、大阪のミナミの周防町通りにあった都ビルの5Fにあった、ディスコ🌐✨️というより広いカフェ・バーに、小さめのダンス・フロアがあった感じの、お洒落な女の子に人気のあった『アマゾン・クラブ』によく行った。イントロのドラム・ブレイク💥が流れてきたら、飲んでる最中でも、話の途中でも速攻!フロアに出て行った。ホントにテンション⤴️⤴️🤩のあがるチューン🎶だ。なんか、ディスコ🌐✨️に行きたくなってきたなぁ〜🤩!
❝キャッチー🍿で、デーハー✨️でバブリー💸❞、いわば3拍子揃った作品だ。80年代中盤期のゴージャス・ダンサブルヒット‼️のひな形みたいな役割を果たしており、❝イージー・ラヴァー❞は、日本のディスコ🌐でもメッチャ受けていた。(≧▽≦)
アメリカ🇺🇸ではBillboard Hot100で2位に達し、『ビルボード』のR&B/ヒップホップ・シングル・チャートでは3位、メインストリーム・ロック・チャートでは5位、アダルト・コンテンポラリー・チャートでは15位に達した。1985年3月には『RIAA』によってゴールドディスク✨️に認定されている。全英🇬🇧アルバムチャートでは4週にわたり1位👑を獲得した。
【RIAA】
アメリカレコード協会(アメリカレコードきょうかい、英語: Recording Industry Association of America、略称:RIAA)は、アメリカ合衆国のレコード産業による業界団体である。
1985年度のMTV『Video Music Awards』では最優秀オーヴァーオール・パフォーマンス賞を受賞🏆️した。
当時、おいらはチンパン&キューピーバンドと呼んでいた。😁キューピーはまだしも、チンパンはないわな🥴スンマセン!(*ノω・*)テヘ
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「ノー・リプライ・アト・オール」の収録されたジェネシスのアルバム「アバカブ」が大好きでした。
ピーター・ガブリエル在籍時のジェネシスは小難しそうで食わず嫌いでしたが、リードボーカルがフィル・コリンズに代わってからのジェネシスはブログレらしさを残しながらも適度にポップで、大好きになりました。
とは言いつつ、ソロになってからのピーター・ガブリエルも大好きで来日公演にも行っています。
ちなみに私のクリスチャン・ネームはガブリエルです。
勿論クリスチャンなのは形式だけで、残念ながら信仰はありません。
「イージー・ラバー」の話でなくて、ゴメンなチャイニーズウォール!
クラシックやジャズなどの要素を取り入れ、変拍子や転調を多用し、組曲など長尺の曲が多いし、ファンタジー要素を取り入れた歌詞世界が苦手で、プログレは避けてきた。単純に難しいし暗い。
松任谷正隆氏がプログレ志向が強かったのが意外だった。ユーミンの曲に反映されていた曲は数曲あるけどね。”翳りゆく部屋”とか‥
シンセサイザーの音があまり好きではなかったからかな?やはりアコースティックが好きなんよ。
BOBBYのさんは”栗が好きやん”やったよね??
是非!来年は栗拾いに行きましょう